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第16回 高雄爆発事故は日本帝国主義に遠因?


ニュース 社会 作成日:2014年8月22日_記事番号:T00052268

ニュースに肉迫!

第16回 高雄爆発事故は日本帝国主義に遠因?

 高雄大規模爆発事故の報道はだいぶ落ち着いてきたが、復興航空(トランスアジア・エアウェイズ)機墜落事故、新北市新店区のガス爆発事故と、この1カ月は多くの死傷者が出る事故が相次いだ。最大の48人が死亡した復興機事故はまだ詳しい原因は分かっていないが、そもそも台風が通過したばかりの悪天候の下、フライトを中止していれば事故は起きなかったわけで、その意味では3件とも人為的要因による事故と呼んで差し支えないだろう。


高雄市は19日、爆発事故の現場で、LCY、台湾中油(CPC)、中国石油化学工業開発(CPDC)の3社の石化輸送管を強制切断した(中央社)

 特に高雄の爆発事故は、▽李長栄化学工業(LCYケミカル、栄化)がプロピレン供給を受ける作業を行っていた際、輸送管の圧力低下の原因究明が不十分なままで作業を続行したこと▽輸送管の管理責任の所在が敷設から24年間にわたって曖昧だったこと▽湿気のある排水溝支線に輸送管を通す非常識な工事が行われていたこと▽その工事の完成後の検査はダミーの排水溝支線で行われたものの、高雄市当局が見抜けなかったか、または意図的に見逃していたこと▽市当局は市内の地下石化輸送管の全体像を把握しておらず、管理も行っていなかったこと──などのいい加減な業務、無責任な管理が次々と重なった結果、市民や消防士30人もの尊い人命が失われることになってしまった。

内陸部にプラント建設

 それにしてもなぜ、総人口約280万人の高雄市中心部に危険な石化物質の輸送管が走っているのか。そもそもこうした都市設計が事故の根本原因ではないのか。筆者はこの爆発事故の報道に接した際、日本では京浜工業地帯や室蘭コンビナート、水島コンビナートなど石化工業地帯は決まって臨海地域にあるのに、LCYの工場がある大社工業区がなぜ内陸部に設置されたのか不思議でならなかった。

 この理由を経済部工業局に問い合わせたところ、最初に「日本統治時代に高雄を東南アジア侵略拠点として海軍基地を建設したことが発端だ」という驚くような反応が返ってきて、経緯が説明された。

 大社工業区と、それに隣り合う仁武工業区はそれぞれ1971年、72年に設置された。川中メーカーが集まり、石化基礎原料のエチレンやプロピレン、ブタジエンは、至近距離にある中国石油(現台湾中油)の第1ナフサプラント(通称一軽)から調達した。 

 一軽は左営の半屏山の北側、すなわち楠梓の内陸部に68年に建てられた。内陸に設けた理由は、そこがもともと旧日本海軍の戦艦の燃料を生産する第6燃料廠だったためだ。第6燃料廠は当時の台湾最大の石化プラントで、日本海軍は米軍の空襲を避けるために海沿いではなく内陸に建設したのだった。

三軽設置で南北輸送に

 当時、台湾は高度経済成長が始まった時期で石化製品の需要は強く、大社・仁武の原料は一軽と、同じく楠梓に建てられた第2ナフサプラント(二軽)では満たせなかったため、76年に市中心部から南に約17キロメートル離れた林園工業区に第3ナフサプラント(三軽)が建てられ、これに伴い林園から大社・仁武に石化原料を送る南北の輸送管が埋設された。

 さらに、不足する石化原料を輸入によって補うべく、前鎮臨港工業区に石油タンク群が設置され、ここから凱旋路などを経由して大社・仁武に達する石化輸送管が敷設される。これら石化輸送管は70年代から90年代にかけて規模が充実していったという。

 こうした歴史を振り返ると、確かに日本海軍が高雄に設置した第6燃料廠が起点になってはいるが、事故に結び付いた遠因は当時の経済部が大社・仁武工業区を内陸部に設置した判断だったと言えるだろう。その際に沿岸部を選択していれば石化輸送管が中心市街地地下を走るということはなかったはずなのだ。その決定も含めて、今回事故で亡くなった30人は、かつての高度成長期の経済発展至上主義の残火の犠牲になったという見方ができるのではないだろうか。

ワイズニュース編集長 吉川直矢 

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