記事番号:T00070288
本コラム執筆の目的
ゴルフはリカバリーショットが大切だと言われますが、経営も同様です。
経営者としてリスクに備えるのは当然ですが、どれだけ備えていても想定外の危機は訪れるものです。
本コラムでは私自身が自社で経験した失敗とそれをどう克服してきたのかを紹介し、少しでも皆さまの経営のご参考になれれば幸いです。
●2004〜06年の状況
労務顧問会員のおかげでビジネスが安定し、04年には荘建中(後に副総経理、現在は顧問)と後に幹部となるMさん(日本人女性、中途)の2人が入社しました。
荘は台湾の大手財閥企業グループの幹部出身で講師兼マネジャーとして、弊社のシリーズセミナーを在台日系企業が最も利用する社員研修に育て上げました。
Mさんは後に労務コンサル兼マネジャーとして、在台日系企業が最も利用されている労務相談(労務顧問会員)を育てることになります。
05年にも後に幹部となるTさん(日本人女性、中途)が、06年には陳逸如(現在協理、新卒)が入社しました。
Tさんは営業を担当し、後に営業マネジャー兼人事コンサルとして大活躍してくれました。
陳は若く才能がある上、努力も素晴らしく、入社3カ月で私が「次の社長はお前だ!」と認めるほど優秀な新人でした。
このメンバーを中心に09年まで毎年40~50%の成長を遂げる事となるのです。
●家内の貢献
話は前後しますが起業を考えていた頃、家内に相談すると「死ぬ時に後悔するのだけはやめよう。あなたと息子ぐらい私が何をしてでも食べさせるから、やりたいことをしなさい」と背中を押されて起業しました。
起業してからも2人で徹夜で資料を作ったり、クライアント様からのミッションインポッシブル(不可能な任務)にも、2人で力を合わせて対応・実現してきました。
オフィス引っ越しの時も、私は締め切り間際のレポートを作成していたので、家内が引っ越し作業を1人で徹夜で行いました。
第2話や第3話に出てくる焼肉屋もメニュー開発とプロモーションは私が担当し、その他は全て家内が行いました。
これ以外でもお金がない時は日曜日に私に内緒で室内清掃のパートをするなど、家内以外の女性と結婚していたら起業は100%不可能だったでしょう。
逆に家内が協力してくれれば、どんなビジネスでも軌道に乗せる自信があり、プライベートとビジネス両方のパートナーとして感謝し信頼していました。
●家内との対立
しかしこの頃になると意見の食い違いが増え、毎日社員の前でけんかばかりするようになっていました。
理由は台湾人パートナーと経営している日本人経営者の多くが経験する「考え方の違い」です。
台湾人は他国に統治された歴史が続き明日はどうなるかわからないと「現在の利益を最大化しよう」と考えます。
それに対して長年安定した国の日本人は「現在の糧ではなく、明日の種をまこう」と考えます。
経営的にいうと「費用を最小化し、利益を最大化」するか「現在の利益を抑え、将来の投資に回すか」の違いです。
家内は費用を抑え利益を最大化しようと考えますし、私は現在の利益は我慢して将来への投資に回そうと考えます。
今は過去の信用や社員の努力でなんとかなっていますが、投資をしてビジネスを楽に行えるようにしなければ長続きしません。
そもそも、こんな小さなビジネスをするためにリスクを負って起業したのではありません。
子供同然の会社を家内と一緒に発展させせたかったのですが、DNAに刷り込まれた遺伝子はそう簡単には変わりません。
また家内はヘッドハンティングの天才で、クライアント様から「A社のB協理をヘッドハンティングしてほしい」とご依頼をいただくとほぼ確実に成功させていました。
クライアント様からの評判も良く、当時家内が担当するビジネスは全社売り上げの3分の1を占めるほどになっていました…
●不可能な任務
ある日、私は家内に「私がこの会社を辞めてあなたが経営するか、あなたが会社を辞めて私が経営するかのどちらかを選ぼう」と提案しました。
激しい抵抗がありましたが、結局家内が身を引くことに決まりました。
創業以来の二人三脚がここに終了したのですが、私はさらに家内に「不可能な任務」をお願いしました。
「息子と一緒に網走で暮らしてほしい…」。当時は家内も2人の息子も日本語が全くできませんでした。
しかも日本の義理の両親が近くに居るといっても、住んだこともない言葉も通じない異国の極寒の「網走」です。
なぜ私がこんなお願いをしたかには理由がありました。
私達の2人の息子は台湾の法律上二重国籍でしたが、義理の両親に育てられたので、北京語、台湾語、客家語は話せても、日本語は全く話せません。
当時私は会社に住み込みでしたので、たまに会う時は理解できるよう北京語で会話をしていました。
言葉も大事ですが、文化や考え方はさらに大事です。
台湾社会で育った息子たちには日本人としての基本的な教養が備わっておらず、このままでは日本社会に適応できず、将来は台湾の国籍を選択しなくてはなりません。
普通の女性にはこんな酷なことは頼めませんが、家内は私と2社の起業を経験し多くの不可能を克服してきたパートナーです。
日本の両親や親戚全員に「無理だ」と反対されましたが、私は「これ以上の不可能を可能にしてきた家内なら必ずできる」と信じて譲りませんでした。
●リカバリーの結果
3人が網走に住んで3カ月後に再度網走に行ってみると子供たちは日本で育った子と同じになっていました。
さらに家内は息子たちに「あなたたちのお父さんはどれだけ素晴らしい人なのか」を度々伝えているようで、帰るたびに3人で大歓迎を受けます(10年以上経った今でも同様です)。
会社は家内が辞めた06年の下半期は減速しましたが、その後持ち直しました。
それよりも投資ができるようになったので06年下半期から07年にかけて社運を賭けた投資をすることになります。
●今回の格言
どんなに離れていても心は一つ
〜労基法改正の対応、人事制度作り〜
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吉本康志
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