ワイズコンサルティング・グループ

HOME サービス紹介 コラム グループ概要 採用情報 お問い合わせ 日本人にPR

コンサルティング リサーチ セミナー 経済ニュース 労務顧問 IT 飲食店情報

第2回 緑洲餐飲管理顧問(オアシス社) 鰐部慎二董事長


ニュース その他分野 作成日:2025年10月17日_記事番号:T00124721

台湾で会社を創る 日本人起業家の決断と軌跡

第2回 緑洲餐飲管理顧問(オアシス社) 鰐部慎二董事長

 外食チェーン大手、ワタミで香港、中国、台湾での事業を軌道に乗せた後、退職して台湾で飲食チェーン店を運営する緑洲餐飲管理顧問を設立した鰐部慎二氏。現在、「太陽のトマト麺」を5店、キッチン&カフェ「粟米肉粒(スーミーローリー)」を2店展開し、製麺工場も経営しています。台湾でどのように飲食ビジネスを広げてきたのか、お話を伺いました。(聞き手・林訑孝)

/date/2025/10/17/20Mrwanibe_2.jpg鰐部慎二氏(わにべ・しんじ)1963年10月、愛知県生まれ

■バイト先がワタミ1号店に

──飲食業を始めたきっかけは。

 東京で大学に通っていたときにアルバイトしていた居酒屋がたまたま、創業したばかりのワタミの1号店となったのがきっかけです。創業者の渡邊美樹さんの経営手腕や魅力にひかれて社員となり、事業の拡大に伴って2000年以降、香港や中国・深圳、台湾など海外事業を任されるようになり、各地で店舗を広げ、軌道に乗せました。

──ワタミをやめて、台湾で起業することにしたのは。

 帰任命令が出たんですが、日本に戻って国内事業をやるより、海外での経験を生かしてみたいと考えました。香港で飲食コンサル業務を始めましたが、台湾でかつて一緒に働いた仲間がまた店をやろうと言ってくれたので、12年に台湾で会社を立ち上げました。

■健康志向料理、味の選択も

──トマト麺を始めたのはどうして。

 ちょうど台湾でラーメンブームが起きていて、日本の人気ラーメン店が次々に出店していました。豚骨ラーメンのような競合が多い分野は避け、ラーメンでありながら、健康志向で野菜がたくさん使われているところが目に止まり、日本でチェーン展開している「太陽のトマト麺」のフランチャイズという形で店を始めました。

/date/2025/10/17/30oasis1_2.jpg

 しかし、台湾の人は豚骨味やしょうゆ味のラーメンは知っていても、トマトスープの麺は食べたことがない。そこで、店先にスタッフを配置し、通りすがりの人に声をかけて試食を勧め、少しずつ客を増やしていきました。人件費が余分にかかっても、今も続けています。好みに合わせ、塩分濃度や麺の太さなどを選べるようにして、台湾の店ならではの試みも続けています。

──売上高は19年まで伸びていますが、その後、落ちたのはコロナ禍の影響ですか。

 はい、コロナ禍で店での飲食が提供できなくなりました。持ち帰りは続けましたが、商業施設にある店舗は契約があるから、客足が減っても店を開けなければならない。3年間、資金繰りが非常に厳しい状態が続きました。

 フランチャイズの店だけでは立ち行かなくなると考え、もともと自らの店も持ちたかったので、粟米肉粒を出しました。しかし、まだコロナ禍が収束しておらず、軌道に乗せるのに、時間がかかりました。

/date/2025/10/17/30oasis2_2.jpg

■快適な空間を提供する

──お店の運営で心掛けていることはありますか。

 レストランというのは、単に料理を提供するだけではなく、快適な空間を提供することだと考えています。おいしい食べ物があることはもちろん重要ですが、リラックスできる心地よい空間、帰る時にまた来てもいいなと思ってもらえるようなお店づくりを目指しています。

──製麺工場を始めたのはどうして。

 東京都東久留米市にある三河屋製麺が18年、台湾に進出して新北市に工場を設立したころからのお付き合いです。こ゚縁が広がって24年からは台湾三河屋製麵の運営を任されることになりました。三河屋製麵の品質を台湾で再現することで、台湾のラーメン界の進化に一役買える存在になりたいです。

■オアシス仲間、起業も支援

──台湾でビジネスをやる上で難しいことは何ですか。

 台湾は、もともと離職率が高く、転職社会ですが、コロナ禍で若い人の働き方が変わって、飲食業の人手不足がさらに深刻化しています。台湾の大学を卒業した留学生らも積極的に採用して対応していますが、十分ではありません。従業員の給与、待遇を上げなければ、質の高い人材を維持できないと考えています。社員を育てて会社の中で昇進してもらうだけではなく、独立して起業という道も成功の一つとしてとらえ、オアシス社の仲間として支援していきたいと思います。

──今後、事業をどのように発展させていきますか。

 起業した当初は、国を越えて店を広げていくことを計画していましたが、自分には向いていないということが分かりました。コロナ禍を経験して、当面は手を広げず、トマト麺、粟米肉粒、製麺という既存の事業を大きくしていきたいと思っています。

──最後に、これから起業しようという人にアドバイスをお願いします。

 私は起業したとき、48歳でした。経営者としてまだ十数年しかやっていない。起業するなら、若いうちに早めに始めることをおすすめしたいですね。

林訑孝

林訑孝

ワイズメディア

日本生まれ、福建省由来の華僑3世。日本の通信社で社会部や中国総局(北京)などの記者を務め、60歳で定年退職。台湾に来て日本語教師をした後、2025年1月からワイズメディアで記者をしている。

台湾で会社を創る 日本人起業家の決断と軌跡