記事番号:T00123492
第一列島線における新たな戦略拠点
米国在台湾協会(AIT)が推進する「九棚宇宙港協力計画」は、台湾南部・屏東県の九棚に建設される発射拠点を活用し、亜軌道ロケットを用いて米本土から台湾への戦略物資・人員輸送を2.5時間で実現するという構想である。この背景には、中国人民解放軍のA2/AD(接近阻止・領域拒否)能力の急速な向上があり、米軍の第一列島線前方展開に対する圧力が高まっていることがある。
第一列島線は全長約3,500キロメートル、日本琉球列島からフィリピンに至る。台湾はその中枢に位置し、中国沿岸までわずか約160キロメートルである。九棚が米軍の超高速展開拠点となれば、中国による台湾速攻奪取シナリオは大きく制約される。米国はこれにより、「第二列島線へ後退すべき」とする悲観論を退け、第一列島線の前方戦略深度を維持する狙いがある。
しかし、戦略的価値の向上は同時にリスクの増大を意味する。米ランド研究所(RAND)のシミュレーションによれば、台湾が米軍の迅速展開拠点となる場合、中国が精密打撃対象とする可能性は約35~50%上昇する。
技術成熟度と投資回収期間
計画の核心である「2.5時間の太平洋横断輸送」は、現時点で技術成熟度レベル(Technology readiness levels ,TRL)が2~3段階にとどまり、概念実証レベルに過ぎない。SpaceXの「スターシップ」システムは有力候補だが、2024年の軌道試験における大気圏再突入成功率は50%未満であり、地点間輸送の実証は行われていない。
大陸間亜軌道輸送には秒速約7.3kmの速度が必要で、これは低軌道投入速度の約80%に相当する。大気圏再突入時の熱防護、自律航法、通信遮断対策は依然として大きな課題である。米国防総省の極超音速兵器開発における平均所要期間(概念から初期運用能力獲得まで約10~15年)を参考にすれば、仮に即時投資を開始しても、2035年以前の実用化は不透明である。
台湾にとって、この計画の短期的な経済的リターンは限定的であり、むしろ地政学的ポジションや産業チェーンの再編が主眼となる。
米国の即時的戦略成果
仮に技術の短期実現が困難であっても、米国が本計画を推進する即時的な利益は以下の3点である。
1.技術保全協定(TSA)の締結
機微な宇宙技術の輸出前提条件であり、締結により米台間の技術的信頼関係は事実上同盟国レベルに格上げされる。2020年に豪州が米国と締結したTSAと同様、国内企業の自律的研究開発範囲に直接影響を与える。
2.インフラの標準化
九棚の施設は耐高温滑走路、液化メタン・液化酸素貯蔵施設、Sバンド・Xバンド測距局を整備する必要がある。豪州北部の宇宙港事例では、同規模施設の資本支出は約1億8,000万~2億2,000万米ドルであった。
3.軍事協力の常態化
初期段階では無人機による洋上回収試験にとどまっても、米国の先端飛行体が台湾周辺空域で常態的に活動する新たな安全保障環境を形成できる。
産業高度化と「コンクリートパッド・リスク」
国際宇宙協力では、「コンクリートパッド・リスク」と呼ばれる課題が存在する。これは、発射場などのインフラは提供しても、厳格な技術輸出規制により推進系や誘導制御といった核心技術にアクセスできず、結果として国内産業が高付加価値工程に関与できない状態を指す。
実際、豪州は米国との技術保全協定(TSA)締結後、発射施設整備を進めたものの、地元業界からは「発射台を貸し、地上支援を提供するだけ」との批判が出た。
しかし台湾は豪州と異なり、衛星設計や電子製造分野で確かな優位性を持つ。衛星開発では30年以上の実績があり、国産6基を含む多数の衛星を製造してきた。さらに、世界半導体生産の約63%を占め、高性能RF部品や航法センサーでは世界市場で25%超のシェアを確保する電子システム供給網も有する。
一方で、ロケット推進や誘導制御の分野では大きく遅れている。もし交渉において、国内の電子機器やサブシステムを国際飛行実証に組み込む権利を確保できなければ、豪州と同じく「場所と地上サービス提供」にとどまる恐れがある。逆に、既存の供給網優位を活かし米国ロケットへの搭載実績を得られれば、部品供給からシステム統合パートナーへと格上げされ、参入障壁の高い国際宇宙市場に進出する道が開ける。
中国の予測可能な対抗措置
中国は本計画を準同盟的安全保障シグナルと見なし、複数のレベルで反応するとみられる。
中山科学研究院の試算では、中国が九棚周辺で常態的軍事活動を展開する場合、台湾の防衛・監視コストは年間約120~150億台湾ドル増加する可能性がある。
資源配分と社会的耐性への影響
九棚施設の高度化に必要な資本支出は、国防・インフラ予算を直接圧迫する。その他重要案件、例えば予備役戦力改革、重要インフラ防護、無人機開発などとの予算競合は不可避である。国防部の2024年度予算は約6,065億台湾ドルであり、宇宙港関連が3~5%を占めれば他事業への影響は顕著となる。
加えて、中国は情報戦・認知戦を通じて「軍事前線化」「環境汚染」「漁業影響」といった物語を拡散し、台湾社会の支持基盤を分断しようとするだろう。透明な説明と地域との対話が欠ければ、計画は社会摩擦コストを大きく伴うことになる。
未来を映す九棚の選択
九棚宇宙港計画は、戦略的象徴性と産業高度化の可能性を秘める一方、技術実現の長期化、地政学的リスクの高まり、投資の機会費用という重大な課題を抱える。
台湾は「安全保障の天井を引き上げる」ことと「安全保障の床を引き下げない」ことの間で均衡を取らねばならない。
要するに、これは単なる地政学的選択ではなく、国家産業のポジショニングと資源配分に関わる長期的意思決定である。台湾にとっての課題は、同盟国の戦略ニーズを、自国の産業力と防衛力の実質的成長に転換できるか否かであり、単なる地理的座標にとどまらない存在意義を示すことである。
段婉婷
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