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孔子77代目子孫、孔徳成氏が死去


ニュース 社会 作成日:2008年10月29日_記事番号:T00011190

孔子77代目子孫、孔徳成氏が死去

 
 中国・春秋時代の思想家で儒家の始祖である孔子の第77代目直系子孫、孔徳成氏が28日、台北県の病院で死去した。88歳だった。葬儀の日程は未定だが、同県三峡の墓園に土葬される見通しだ。

 孔徳成氏は1920年2月23日、孔子77代目の子孫として中国山東省曲阜に生まれた。父、孔令貽氏には息子がなく、初めての男児、徳成氏の誕生に曲阜じゅうが爆竹を鳴らして湧き上がり、北洋政府も礼砲を放って祝ったという。

 49年に国民党政府と共に台湾へ渡った孔徳成氏は、聖人君子の風格を備えた学者であり、書道家であり、また美食家でもあった。長年にわたり台湾大学で教鞭(きょうべん)を執ったほか、84年からは考試院長を9年間務めた。

 孔子の子孫は代々、為政者から贈られた称号を世襲している。孔徳成氏は生後わずか100日で第32代「衍聖公」になり、国民党政府の称号改名により1935年からは「大成至聖先師奉祀官」に。毎年9月28日、台北市の孔子廟で行われる孔子を祭る儀式で主祭官を務めてきた。

 孔徳成氏は渡台後、一度も故郷の曲阜に戻ることはなかった。孔子が批判された文化大革命時代、孔子および父母を含む孔家代々の墓が紅衛兵によって暴かれたが、中国政府はこれまで一度も孔家への説明や謝罪を行っていない。孔徳成氏はこの件を晩年まで残念に思っていたと考えられている。