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第1回 ワイズコンサルティンググループ代表 吉本康志


ニュース その他分野 作成日:2025年7月25日_記事番号:T00123089

台湾で会社を創る 日本人起業家の決断と軌跡

第1回 ワイズコンサルティンググループ代表 吉本康志

 ワイズコンサルティンググループの中核企業であるワイズコンサルティング社は来年で30周年を迎えます。資本金20万台湾元で始めた会社は、台湾の日系企業の間で「台湾ビジネスならワイズ」と言われる情報サービス業グループになりました。どのようにして会社を育ててきたのか。これまでの歩みと成長の秘訣を、吉本康志代表に聞きました。(聞き手・林訑孝)

/date/2025/07/25/20yoshimoto_2.jpg1965年8月、北海道北見市生まれ

■駐在員やめ、96年起業

──台湾で起業しようと思ったきっかけは何ですか。

 台北で駐在員をしていた日本の大手コンサル会社を退職したのは1996年。当時は海外で一旗揚げようという日本人がたくさんいた時代でした。日本に帰国すると、経営コンサルタントとして遅れてしまう感覚があって台湾にとどまり、「アジアのマッキンゼーになる」ことを目標に会社を設立。まずは台湾企業の流通業マーケティングに特化したコンサルとしてビジネスを始めました。その後、日系企業向けのコンサルにターゲットを変えました。しかし、私一人で営業とコンサルの両立は難しい。そこで、フリーペーパーなどさまざまな媒体で「台湾のビジネス事情」を連載することで会社の認知度を上げ、営業活動最小限で受注に結びつけました。今で言うなら「コンテンツマーケティング」という手法です。

■非接触サービスで危機克服

──その後、順調に進んだのでしょうか。最大の危機はいつでしたか。

 一番苦しかったのは2003年の新型肺炎(SARS)流行ですね。人が集まるコンサル、セミナー、委託研修が実施できなくなりました。そこで、「人と会わずに提供できるサービス」として構築したのが、ホームページで台湾法規の日本語訳が見放題で、労務に関する相談にメールで回答するという労務顧問会員サービスです。07年には台湾のニュースを日本語で提供するサービスも始めました。この経験があったので、20年からのコロナ禍も乗り越えることができました。コンサルやリサーチはクライアントの案件に一つずつ対応するサービスですが、ストック型ビジネスを増やすことで収入を安定させました。さらに、システムやクラウドを加えた多様なサービスで相乗効果が出せるようにし、24年には売上高の最高を更新しました。

/date/2025/07/25/20ysgroup_2.jpgワイズグループの売上高推移

■弱者の戦略が奏功

──台湾だからこそ、うまくいったのはどんなことですか。

 台湾にある日系企業に対象を絞り、ニッチ戦略を採ったことで、マーケティングのコストが抑えられました。さらに、台湾で日系企業が必要とするビジネスに集中し、サービスを提供することで「台湾ビジネスならワイズ」という認識を得ることができました。つまり、弱者の戦略が功を奏したと言えます。

──逆に、台湾ならではのビジネスの難しさは何ですか。

 台湾では、外国人のオーナー経営者は融資を受けにくいことや、離職率が高いということがあります。特に後者は、時間とお金をかけて社員を育成してもやめられてしまい、苦労しました。それでも、優秀な人材が集まるように給与水準や福利厚生など労働環境を整え、企業側が求職者に直接アプローチして採用活動をするダイレクト・リクルーティングもしています。

■「知恵と努力の継続」

──成功の秘訣は何でしょうか。

 私はまだ成功したとは思っておらず、成功途上だと思っています。「成長の秘訣」ということなら、知恵と努力ではないでしょうか。ワイズは「知恵と情熱で企業の飛躍をサポート」をスローガンに掲げ、実践しています。知恵を出して危機を乗り越え、諦めないで努力を続けることが大切です。

──最後に、これから起業する人へのアドバイスをお願いします。

 人生を賭けて海外で起業するなら、小さな起業ではなく、世界に誇れる企業を目指してほしいです。

 

*台湾で起業し、活躍する日本人に成長の秘訣を聞くコラムの連載を続けます。

林訑孝

林訑孝

ワイズメディア

日本生まれ、福建省由来の華僑3 世。日本の通信社で社会部や中国総局(北京)などの記者を務め、60歳で定年退職。台湾に来て日本語教師をした後、2025年1月からワイズメディアで記者をしている。