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日本統治時代の八田ダム、世界遺産への動き


ニュース 社会 作成日:2009年5月11日_記事番号:T00015246

日本統治時代の八田ダム、世界遺産への動き

 
 日本統治時代、土木技師・八田與一氏(1886~1942年)によって建設された台湾南西部の灌漑(かんがい)施設、烏山頭ダムと嘉南大圳(水路網)を、世界遺産に登録しようと民間団体や学者らが動き始めた。

 八田氏が1920年から十年もの歳月をかけて建設した烏山頭ダムは、当時アジア最大級、世界でもトップクラスで、通称「八田ダム」として知られている。これにより農作不毛地帯だった嘉南平原15万ヘクタールは豊かな穀倉地帯へと変貌(へんぼう)し、台湾の農業に大きく貢献した。

 嘉南農田水利会は、42年5月8日に八田氏が逝去して以来、毎年命日に烏山頭ダムの八田氏銅像前で慰霊祭を行っており、今年も日本から訪れた八田氏の長男夫人の八田綾子氏、孫の八田修一氏をはじめ、母校である金沢市花園小学校などから約100人が参加した。馬英九総統も参加し、八田氏の功績をたたえた。

 またこの日、国立台南芸術大学では、「八田ダム」を世界遺産に登録しようと呼び掛ける100万人の署名活動が本格的にスタート。約90年前、嘉南地域の農民10万人がダム建設にあたり請願署名をした精神を再現したいとしている。

 全国の農会(農業協同組合)300余りのうち、約3分の1に当たる103の農会および、20余りの民間団体が既に署名を連ねており、9月の新学期開始以降は台湾各地の学校でも署名運動を展開していく予定だ。

 ただ、台湾は「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)」を締約していないことから、締約国である日本のサポートが必要だ。

 許光輝・警察専科学校助教授は、「これは台湾人の名誉であり、日本にとっても大事なものだ」として、台湾人100万人と日本人100万人が協力し、台湾にこのような素晴らしい遺産があることを世界中に伝えようと呼び掛けている。