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台北県八里の軍事坑道、観光スポットとして再生へ


ニュース 社会 作成日:2009年12月22日_記事番号:T00019992

台北県八里の軍事坑道、観光スポットとして再生へ

 
 台北県八里郷の観音山に残る日本統治時代の軍事坑道が、観光施設としてよみがえる見通しだ。台北県政府や八里郷公所(役所)、北海岸及観音山国家風景区管理処は、坑道を観光客に開放するほか、屋外カフェや運動場、野外訓練場、軍事文物館なども設置し、観光振興を図る方針だという。

 コードネーム「重慶四号」のこの坑道は、東は渡し船の船着き場・米倉崎から、西は大崁村第二公墓まで、全長約5キロメートル。八里郷公所はこのうち1,300メートル分を政府から接収済みで、既に700万台湾元をかけて600メートル分の整備を完成している。

 「重慶四号」の歴史は、太平洋戦争末期、日本陸軍第66師団が米軍の侵攻に備えて建設した鉄筋コンクリート製のシェルターにさかのぼる。戦後は共産党軍の襲来に備えて淡水河河口の八里に永久築城し、1970年に行われた「重慶四号」をコードネームとする工事では、指揮所や通信所、弾薬庫、銃座、砲座など各種の軍事施設が補強構築された。

 坑道の地下堡塁は複雑に入り組み、四方八方に網目状に広がる道は、中国の地理通りに配置され、中央、北平、南京、上海、西安などと名付けられているとか。ただ、坑道の西の出口が墓地の中に位置するため、景観の面でもさらなる開発が必要なようだ。

 なお、観光スポットとして一般公開されている歴史遺産の軍事坑道は、金門や馬祖のほか宜蘭県亀山島にもあり、共産党軍の上陸を防ぐために造られた800メートルの坑道を観光することができる。