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作成日:2007年8月24日_記事番号:T00002280
八二三砲戦49年、今に伝わる首なし部隊の怪談
きのう8月23日は、49年前、金門島で国共両軍が44日間にわたる激しい砲撃戦を演じた「八二三砲戦」に突入した日だった。中国共産党の人民解放軍が、アモイに設置した342基の砲台から金門島に打ち込んだ砲弾は、戦闘開始わずか2時間で5万7,000発。44日間では計49万余発にも上り、その戦況のすさまじさは今なお語り継がれるほどだ。
八二三砲戦の後、国共両軍の間では、夜闇に乗じ泳いで対岸の敵地へ侵入し、相手の歩哨や兵士を襲う――という殺し合いが繰り返されるようになった。兵士たちは任務を果たしたことを証明するため、敵の耳を切り落として持ち帰ることが多かった。
このような報復戦を繰り返すうち、金門では「首なし部隊」の怪談が流れるようになった。金門のある部隊で全員が敵の兵士に襲われて殺されてしまったところ、夜になるとその中隊長が自責の念から部隊を教練する掛け声が聞こえてくる、というものだ。
陸軍金門防衛司令部(金防部)の元士官長、義保明氏は、毎日、雨の日でも「立正(気をつけ)!」という掛け声が聞こえたと証言している。
金門ではこの話は誰もが耳にしたことがあり、口伝えのうちに違うバージョンの話もでてきたが、話の大筋はほぼ同じ。金門の人たちは首なし部隊の話を恐ろしいとは思わず、この小島を守るため力をつくした勇敢な将兵たちがいた、と感動をもって語り継いでいるそうだ。
首なし部隊の怪談が広まり、後から進駐した部隊に不安が広がったため、当事の蒋介石総統は自ら金門に赴き、「諸君は祖国に対する義務、責務を十分尽くした」と亡くなった兵士の霊を慰めたという。