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作成日:2007年10月15日_記事番号:T00003130
ミャンマーで殉死の長井氏、15年前に呂秀蓮氏に愛用カメラを寄贈
9月27日にミャンマーで反政府デモを取材中、銃撃を受け死亡したフリージャーナリストの長井健司氏は、倒れてもカメラを手放すことのなかった姿が「ジャーナリスト魂」として話題になったが、今から15年前に愛用のカメラを、当時民主運動や女性運動の活動家として活躍していた呂秀蓮副総統に贈っていたことが分かった。
呂副総統によると、日中国交正常化20周年に当たる1992年、中国が「台湾は中国の一部、血肉を分けた兄弟」と主張したことから、呂副総統は国慶節の10月1日に北京に乗り込み、「歓迎を受けるかどうか、中国側の反応を試してみよう」と計画した。
89年の天安門事件からわずか3年後のことで、国際社会が彼女の安全を危惧(きぐ)し、直前に東京で記者会見が開かれた。その席で立ち上がり、「北京に到着したら投獄されるのではないか」と心配した若い日本人記者が長井氏だったという。
長井氏は自分はミャンマーの民主化運動指導者・アウンサンスーチー氏の支援者で、国際社会にスーチー氏への関心を呼びかけるため、カメラでスーチー氏を撮り続けてきたと自己紹介。「スーチー氏はこれまで何度も危機に遭遇したが、幸い難を逃れることができた。これはそんな幸運のカメラなので、きっと北京に行くあなたを守ってくれるはずだ」、と愛用のカメラを呂副総統に贈ったという。
長井氏の殉職を悼んだ呂副総統は、自ら発起人となり「ミャンマー民主化支援行動連盟」を設立し、13日に開いた記者会見で、長井氏から贈られたという古いカメラを披露した。「彼がこの幸運のカメラを持っていれば、難を逃れることができたかもしれない」と、不思議な縁とつらい心中を語った。