ニュース 社会 作成日:2012年9月3日_記事番号:T00039135
8月31日午後10時、華信航空(マンダリン航空)の旅客機が台北・松山空港に到着した。いつもなら急いで出口へ向かう乗客がこの便に限ってはたびたび立ち止まって振り返り、写真を撮っている。というのもこの便は、かつて「黄金路線」と呼ばれて利用者でにぎわった航空・台北〜高雄線(北高線)の最終フライトだったからだ。
最終フライトの乗客の男性は、航空券をともに記念写真を撮って路線消滅を惜しんでいた(31日=中央社)
北高線を最初に運航したのは復興航空(トランスアジア・エアウェイズ)で、第1便は1951年のことだった。その後87年に台湾域内線への航空会社参入規制が大幅に緩和されると、ビジネス客に需要の高い同路線への進出が相次ぎ、最盛期は7社が運航するまでになった。交通部民用航空局(民航局)の統計によると、1日の運航便数は97年の85便がピークだった。
当時、高雄の実家と会社のある台北の往復によく飛行機を利用したという鄭さんは、「当時、北高線はほぼ10分に1便という過密スケジュールで、松山空港では離陸を待つ飛行機が行列を作って並んでいた」と振り返る。
そんな人気路線も、台湾南北を縦断する2本目の高速道路、フォルモサ高速公路(国道3号)の2004年開通、さらに台湾高速鉄路(高鉄)の07年開通に伴って利用者が激減。特に高鉄の開通後は乗客が一気に半減する大ダメージを受け、航空会社の撤退が相次いだ。そして、唯一運航を続けていた華信航空も平均搭乗率が5割を切るという状態に至り、運航停止を決めた。
ただ最終便となった31日午後9時10分・高雄発便は、「歴史の終わり」を見届けようとする航空ファンがチケットを争って購入したため、104席が満席となり有終の美を飾った。
台中、嘉義、台南など台北と西部の主要都市を結ぶ航空路線はいずれも、既に消滅しており、今回の高雄線廃止により西部路線は台湾最南端の恒春を結ぶ路線のみとなった。
歴史の終わりは寂しいものだが、華信航空が東部路線へ輸送能力の移行を進めるなど、台湾全体の交通事情改善に伴うものと考えれば、むしろ祝うべきことなのかもしれない。
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