ニュース 社会 作成日:2015年3月5日_記事番号:T00055671
高雄港の埠頭(ふとう)で働く貧しい労働者のために50年にわたり10台湾元で食事の提供を続け、「貧者の守護神」と称えられた女性、荘朱玉女さん(享年96)が先月死去し、4日に営まれた葬儀にはかつて彼女に救われたという労働者ら約2,000人が参列した。
荘朱さんはほぼ年中無休で働き、料理の仕込みも独りでこなした(中央社)
夫が高雄港の埠頭で貨物の積み下ろし業務を手掛ける会社を経営していた荘朱さんは、低収入に苦しむ港湾労働者たちの姿を目の当たりにし、夫の会社の倉庫を宿舎として提供した他、無料で弁当やビュッフェスタイルの食事(自助餐)を用意するようになった。その後、コスト負担に耐えかねて有料化したものの、代金はわずか10元に抑えた。
また10元という激安価格にもかかわらず、魚、肉、野菜などメニューも豊富でしかも食べ放題だったことから、体力の消耗が激しい荷役などをこなしていた港湾労働者たちも満腹するまで食べることができ、体力を回復して仕事に出ることが可能になったという。中には10元の代金も払えないほど困窮した労働者もいたが、荘朱さんは「いいよ」と言って無料で食べさせたそうだ。
こんなやり方では商売が成り立つはずもなく、息子の荘吉雄さんによると、50年間で不動産を7件売却して維持費に充てた。しかし荘朱さんは決して裕福な暮らしをしていたわけではない。維持費を補塡(ほてん)するためにくず鉄を集めて売ったり、燃料にする木材を集めたり、材料の仕入れに忙しく、疲れて道端で手押し車にもたれて居眠りする姿が隣人にたびたび目撃されていた。
80歳になった時、家族はもう引退してほしいと荘朱さんに告げたが、彼女は「私がやめたら労働者たちはどこでご飯を食べればいいのか」と拒否。結局、それまでの3食提供から昼食のみの提供に減らし、2001年に脳卒中で倒れるまで働き続けた。
そんな彼女が2月13日に体調を崩して急逝すると、葬儀にはかつて「10元食堂」のお世話になったという労働者たちが大挙して訪れその死を悼んだ。彼女に捧げられた花かごの列は100メートルを超えたという。
なお遺族は荘朱さんの遺志を継ぎ、彼女の名を冠した慈善団体を設立し、貧困家庭の子供や被災者の支援を行う考えだ。
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