ニュース 社会 作成日:2015年3月9日_記事番号:T00055727
奇美実業の創業者、許文龍氏(87)の講演会が高雄日本人会の主催で7日台南市の奇美博物館で開かれ、南部の日本人ビジネスマンや家族ら100人が、博物館など社会貢献や日本への思いを語る許氏の話に耳を傾けた。許氏は親日家として有名で、日台間の経済・文化交流への貢献から2013年に旭日中綬章を受章している。講演は日本語で行われた。
許氏は高齢を感じさせない、しっかりとした口調で話した(7日=YSN)
今年1月、台南都会公園に移転再オープンした奇美博物館は、西洋の絵画、彫像、バイオリンなどの楽器、世界の兵器、動物の標本など、許氏が集めた数千点を展示しており、現在参観申し込みが多いため、1日当たりの入場者数を約6,000人に制限している。許氏はまだ小さかったころ、台南にあった小さな無料博物館によく見学に行って「いつか博物館を作りたい」と夢を抱き、それが実現したと語った。
奇美博物館は奇美病院に続く奇美グループの社会貢献事業で、許氏は、日本統治時代の小学校や工業学校で勉強したことが自身のビジネスの基礎をつくり、その成果によって数々の社会貢献ができたとして「日本にお礼を申し上げたい」と述べた。同時に、日本が台湾を領有して5年で50カ所の学校を作ったこと、学校に行けない貧しい児童の家庭を教師や警察官が訪れて、父母に就学させるよう説得に回ったエピソードを紹介しつつ、当時の日本の教育熱の高さを称賛した。
また、台湾は日本の統治によってインフラ整備が進み、農業の基盤が築かれ、治安が大幅に改善をしたことを挙げて、「日本人は胸を張ってよいと思います。オランダ人がインドネシア人にオランダ語を話すのを許さなかったような統治とは異なり、日本が台湾を領土の延長と考えて植民地経営に当たったのは立派だった」と評価した。
奇美グループの経営については、「最初から大事業をやろうとは考えていなかった。小さな道をたどりつつ、だんだんと大きな道が開けていった」と振り返った。また、若い頃から部下への権限委譲を積極的に進めたことがビジネスの成長にプラスだったと述べ、若手に仕事を任せる重要性を説いた。一方、一緒に事業を始めた兄や義兄らとの経営をめぐる意見の相違で非常に苦労したという昔話も紹介した。
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