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幻の「台北湖」、存在めぐり歴史論争


ニュース 社会 作成日:2015年5月21日_記事番号:T00057084

幻の「台北湖」、存在めぐり歴史論争

 現在の台北市は約300年前、大地震で地盤が陥没し、全体が「台北湖」に沈んだという学説が存在する。しかし一方で、台風で市内を流れる川の水があふれ、広範囲にわたる洪水が発生した状況を古人が見間違えただけとその存在を否定する学者もおり、論争が続いている。

 「台北湖」説の元となったのは国立故宮博物院(台北市士林区)所蔵の1枚の古地図「雍正台湾輿図」。清朝の第5代皇帝、雍正帝時代(1722〜1735年)に作成されたこの地図には、台北全体を覆うほどの大きな湖が描かれている。また1697年に台湾を訪れた清朝福州の役人、郁永河が記した旅行記、『裨海紀遊』にも「船に乗り、関渡(淡水河沿いの地名、現在の台北市北投区)を過ぎると対岸が見えないほどの大きな湖が見えた。同行者によると、3年前に起きた大地震で土地が陥没し、湖が出現したとのこと」という記述が見られる。

 このことから1694年に発生した「康熙大地震」により、台北全体が湖に沈んだとの学説が浮上したわけだ。

 ところが「康熙大地震」発生の5年後、郁永河が湖を目撃した2年後の1699年に作成された「康熙台湾輿図」(国立台湾博物館所蔵)に「台北湖」は描かれていないことから、一部の学者は、「地震でできた湖なら2年で消えることはない。郁が見たのは台風で基隆河が氾濫した場面ではないか」との疑義を呈している。

 また「雍正台湾輿図」の絵から湖の水深は5メートル以上と推測されるが、これほど大規模な地表の変化を引き起こすにはマグニチュード7以上の地震が必要だと指摘し、「それほどの大地震が起きたのなら、なぜ当時の旅行記に新竹など周辺地域の被害状況が全く記されていないのか」と矛盾を突く声も上がっている。

 これに対し「肯定派」は、「雍正台湾輿図」に描かれた湖の絵は誇張されたもので、実際の陥没は3メートル以内、新竹まで被害が出るほどの規模ではなかったと反論。さらに「康熙台湾輿図」に「台北湖」は描かれていないものの、関渡辺りに描かれた船は川船ではなく航海用で、これは周辺地域の水量が「川レベル」ではないことを示唆し、間接的に「台北湖」の存在を示していると主張している。

 幻の台北湖論争、いかなる決着が待っているのだろうか。