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亡き兄の足跡探す日本人弟、基隆の高校で成績表発見


ニュース 社会 作成日:2015年5月29日_記事番号:T00057242

亡き兄の足跡探す日本人弟、基隆の高校で成績表発見

 若くして亡くなった兄の足跡をたどり、彼が学生時代を過ごした台湾を訪れた日本人兄弟が27日、基隆市の高校で兄の成績表と対面した。


永二さん(右)と雅博さん(左)は70年前の精弘さんの成績表が順調に見つかり、感無量だった(27日=中央社)

 このほど来台した浦崎永二さん(77)と浦崎雅博さん(68)は現在、子孫に自分たち一族の歴史を伝えるため、先祖に関する記録を収集している。その過程で、心筋梗塞のため32歳の若さで亡くなった兄、浦崎精弘さんのことを知る必要があり、調査を進めていた。

 精弘さんは日本統治時代の1944年、沖縄県与那国島から台湾の基隆中学(現在の基隆高中)へ転入し、ここで終戦までの約1年半の間、勉学に励んだことが分かっていた。そこで弟2人は台湾の友人を通じて基隆高中に兄に関する資料が残っていないか問い合わせてみることにした。

 こうして先週、突然「1945年まで在籍した日本人の資料は残っているか」との問い合わせを受けた基隆高中教務処の連耿義組長は、学籍簿を保管してある部屋の片隅に古めかしい木箱があったことを思い出し、開けてみることにした。

 すると予想通り、その木箱の中には日本統治時代の生徒の資料が収められており、さらに詳しく中を調べてみると、「浦崎精弘」と記された成績表も見つかった。

 そして27日、永二さんと雅博さんが同校を訪れ、この成績表と対面した。精弘さんとは20歳近く歳が離れていたため、顔を覚えていないという雅博さんだが、親族の年輩者から常々、精弘さんは小児まひを患い体が不自由となりながら自暴自棄にならず勉学に励んでいたと聞かされたそうで、兄弟たちは皆、亡き兄の影響を受けて努力を続け、それぞれが事業で成功したという。

 そんな一族自慢の兄は、基隆中学でも学年で2番の優秀な成績を残していたことが分かった。弟2人は「さすが兄さん」と感じ入ったことだろう。