ニュース 社会 作成日:2015年11月17日_記事番号:T00060417
歴史資料によると、台湾周辺海域には400隻以上の沈没船が眠っているとされるが、このうち海路で東北アジアから東南アジアへ向かう「海のシルクロード」の要所とされながら、暗礁が多く、海流も速い他、たびたび台風にも見舞われる澎湖島周辺で沈んだ船は100隻を超えており、最大の難所となってきたことがうかがえる。
また第2次世界大戦中、澎湖は日本の南進政策における重要拠点となっていたことから、周辺海域は米軍の攻撃目標になりやすかったため、沈没船の中には旧日本軍の軍用船も数多く含まれているそうだ。
文化部文化資産局からの委託を受けて海底調査を行った中央研究院(中研院)は、台湾周辺でこれまでに70〜80隻の沈没船を確認しているが、このうち最も歴史価値の高い14隻のうち9隻が澎湖海域に沈んでおり、さらにうち5隻を日本船が占めている。
第2次大戦中に嵐や米軍の攻撃により澎湖周辺で沈んだ日本の軍用船としては、▽山藤丸▽御月丸▽浅香丸▽満星丸──などが知られている。このうち山藤丸は日本側の資料に「1942年10月19日に座礁、沈没した」と記載されているが、米国側の資料には「米国の潜水艦による魚雷攻撃で撃沈」と記されており、沈没原因が日米で異なる珍しいケースとなっている。中研院の臧振華院士(海洋考古学)は「日本が作戦の失敗を公にしたくなかったためと考えられる」と指摘した。
この他、旧日本海軍の防護巡洋艦「松島」は1908年、海軍学校の学生による練習航海中、馬公港に停泊していた際に火薬庫が爆発して沈没するという悲劇的な事故に見舞われている。
日本船以外では、1892年に同海域で座礁し、沈没した英国の商船に大量の金貨、銀貨が積み込まれていたのを第2次大戦後に近くの島「吉貝嶼」の住民が発見し、売りさばいて一時的に裕福になるという現象も起きた。
なお中研院は政府に対し、澎湖周辺に眠る船を「沈没船博物館」として活用し、観光業の発展に生かすよう提言している。
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