ニュース 社会 作成日:2016年3月8日_記事番号:T00062348
 日本統治時代の台湾で、太平洋戦争中に生き別れとなった兄弟がこのほど、74年ぶりの再会を果たした。その裏には戸籍事務を取り扱う戸政事務所職員の熱意あふれる協力があった。
再会した3兄弟。容姿がよく似ている(陳麗州さんのフェイスブックページより)
戦時中の台湾で幼年期を過ごした高雄市鳳山区在住の男性(82)とその弟(81)には今年76歳になる末の弟がいた。しかしこの末っ子は2歳のとき、空襲を受けて防空壕(ごう)に避難した混乱に紛れて行方が分からなくなり、そのまま生き別れとなってしまった。
末っ子の安否が分からないまま年月が過ぎ、両親も相次いでこの世を去ったが、長兄は彼のことが忘れられず、その行方を探し続けた。しかし、一向に成果は挙がらず、70年以上が過ぎても彼の心の中に弟のことがしこりとなって残っていた。
そんなある日、昨年話題となったドキュメンタリー映画、『湾生回家』の中で日本統治時代に台湾で生まれた「湾生(わんせい)」と呼ばれる日本人が、台湾に住むかつての友人たちを探す過程で戸政事務所の協力を受けたことを長兄の息子の妻が知った。義理の父が心残りを抱えていることを知っていた彼女は、高雄市鳳山区の第一戸政事務所を訪れたついでに「70年以上前に生き別れた家族を見つけ出すことは可能でしょうか」と尋ねてみた。
これを聞いた同事務所の職員、陳麗州さんは日本時代の戸籍資料を当たり、末っ子が行方不明になった当時、一家が住んでいた住所を割り出した上で、台湾全土の76歳男性のうち条件に当てはまる人物を抽出していった。そして調査を開始して3日が過ぎた時、当時、台南市に住んでいた夫婦が2歳前後の男児を養子に迎えたとの情報に突き当たり、現在、76歳となっているその男性に連絡を取った。
電話を受けた男性は陳さんの話を聞いて感極まった。というのも、その男性はまさに探し求めていた末っ子で、自らも本当の家族を長年にわたり探していたのだった。彼は大きくなって戸籍を見た際、自分が養子であることを知ったが、養母に聞いても詳しいことは教えてもらえなかったため、自ら肉親探しに乗り出し、ついに高雄市の生家を探し当てたが、そこには誰も住んでおらず、捜索に行き詰まったまま50年以上が経過していたという。
今年2月、高雄市のレストランで74年ぶりの再会を果たし、互いに抱擁を交わした。3人は今後、毎年集って家系図を完成させようと約束したそうだ。
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