ニュース 社会 作成日:2016年11月30日_記事番号:T00067727
戦後間もない1947年に国民党政府が台湾住民を弾圧した「228事件」の研究者として知られる阮美姝氏が28日に死去していたことが分かった。88歳だった。日本に留学中の60年、父親が同事件に巻き込まれて処刑されたことを本で知った彼女は、真相を突き止めようと決意。半生にわたり調査を続け、その成果を2冊の書籍にまとめたほか、収集した資料を展示する文物室を開設するなど事件を社会に広く知らしめた。
阮氏の父親、阮朝日氏は戦後、公営日刊紙「台湾新生報」の総経理を務めていたが、228事件が発生した47年2月28日から間もなくして政府に連行され、そのまま行方が分からなくなった。当時結婚したばかりだった阮美姝氏は父親のことが心配だったが、厳しい情報統制が敷かれる中、行方を探ることもできなかった。
その後、彼女は音楽教師の資格を取得するため日本へ留学した際、偶然手にした台湾出身の言語学者で政治運動家、王育徳氏の著作「台湾 その苦悶する歴史」の中に阮朝日氏が反乱罪で処刑されたとの記述を発見した。その時まで父親はどこかの刑務所に入れられているのだろうと考えていた阮氏は驚き、父は冤罪(えんざい)で処刑されたと考えて真相究明に乗り出すことを決意した。
その後も戒厳令が続く台湾では228事件がタブー視される中、彼女はたった一人で資料の収集や聞き取り調査を続けた。そして事件から40年が経過した87年に戒厳令が解除され、真相究明に向けた動きが生まれ始めた際、阮氏がそれまでこつこつと積み上げてきた調査が大いに役立ったという。
そして彼女は90年に「阮美姝二二八事件紀念文物室」を開設し、収集した資料を一般に公開。さらに94年には長年の調査結果をまとめた手記「孤寂煎熬四十五年」(邦題:台湾二二八の真実、まどか出版)を、96年には事件の被害者やその家族とのインタビューをまとめた「幽暗角落的泣声」を発表した。
その後も228事件に関するドキュメント映像シリーズ「我的家郷我的根」の制作に携わるなど精力的に活動を続けていたが、最近は持病の糖尿病で体の自由が効かなくなっていたそうで、28日、自宅で眠ったまま息を引き取ったという。228事件の究明に半生をささげた彼女の死去は、台湾も戦後の終わりを迎えていることを物語る。
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