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台南担仔麺の元祖、「洪芋頭」が閉店


ニュース 社会 作成日:2016年12月8日_記事番号:T00067890

台南担仔麺の元祖、「洪芋頭」が閉店

 台南市の名物屋台料理、担仔麺(タンツーメン)を考案した洪芋頭氏の流れをくむ老舗店で、100年以上の歴史を持つ「洪芋頭担仔麺」が先月、閉店していたことが明らかとなった。

 担仔麺といえば現在では「度小月」が有名だが、同店と「洪芋頭」は洪芋頭氏の孫が開業しており、いずれも創始者の「直系」と言える。

 もともと漁師だった洪芋頭氏は、台湾の日本への割譲が決まった日清講和条約(下関条約)が結ばれた1895年、台風などで漁に出られない秋に屋台料理で生活費を稼ごうと小エビ、おろしにんにく、黒酢、もやし、麺を加えたスープ麺にそぼろ肉を乗せたメニューを考案。天秤棒(台湾語で「担仔」)を使って食材や調理道具を担ぎ、売り歩いたことから「担仔麺」と呼ばれるようになった。

 その後、日本統治時代には有力者や知識人の間で夜食に友人たちと担仔麺を食べることがブームになり、さらにその評判は政府の役人の耳にまで入り、洪芋頭氏が役所に招かれて皇族のために担仔麺を作ったこともあったそうだ。

 そして洪芋頭氏が死去した後、1972年に一番上の孫、洪振銘氏が「度小月」を、そしてもう一人の孫、洪東英氏が祖父の名を冠した「洪芋頭」を創業、それぞれ常連客を持つ人気店となった。ちなみに「度小月」とは「小月(稼ぎの悪い時期)を何とか乗り切る」という意味で、洪芋頭が生前、構えた屋台のちょうちんに記されていた文句だ。

 「洪芋頭」は洪東英氏の死去後、妻の洪呉佳芬氏と娘2人が店を続けていたが、長年同店の味を守ってきた料理人が高齢のため相次いで離職。昨年、洪呉佳芬氏が病気で亡くなった後は業績も低迷し、残された娘らがこのほど閉店を決めたようだ。

 一方の度小月は現在、台湾に5店舗を展開している他、中国にも進出するなど発展を続けており、同店が今後「元祖・担仔麺」の味を守り続けていくことになる。