ニュース 社会 作成日:2017年4月24日_記事番号:T00070181
台湾には1949年から69年にかけて、蒋介石総統(当時)の要請で結成され、秘密裏に中華民国軍を支援した旧日本軍将校から成る「白団」と呼ばれる軍事顧問団が存在した。このほど、長く白団団長を務めた富田直亮氏の遺骨が分骨されている新北市樹林区の海明禅寺を元団員の遺族らが訪問し、慰霊式を行った。
共産党との内戦に破れ、台湾へと拠点を移した蒋総統は、旧日本軍・支那派遣軍総司令官だった岡村寧次氏に国民党軍の立て直しへの協力を要請。蒋総統が終戦後、「以徳報怨」(徳を以て怨みに報いる)として知られる、日本に対して寛大な姿勢をとったことに恩を感じていた岡村氏はこれに応じ、かつての部下、富田直亮・元陸軍少将を台湾へと派遣した。
富田氏はその後、相次いで来台した元日本人将校をまとめて軍事顧問団の団長に就任。同氏は「白鴻亮」との華人名を使用したことから同顧問団は「白団」と呼ばれるようになった。
白団は69年に解散するまでの20年間に83人もの日本人が在籍し、中華民国軍のエリート学生が戦闘、戦術などに関する訓練を受けた「円山軍官訓練団」や「石牌実践学社」の教官を務めた。一説には台湾軍の軍官約5,000人が彼らの指導を受けたとされている。
また事実は不明ながら、60年代初期、中国が大躍進政策に失敗し、国力が大きく疲弊した際、蒋総統が計画したものの実行されることはなかった中国大陸領土奪還(大陸反攻)作戦「国光計画」は、白団が立案した「光計画」が基となったとの見方もある。
白団は米軍が正式な顧問団を派遣するようになって以降、50年代をピークに徐々に規模が縮小され、68年には富田氏ただ1人となり、組織としては69年に解散した。しかし富田氏はその後も79年に日本に帰国中に病没するまで三軍大学(現・国防大学の前身)で教鞭を取り続けた。
なお富田氏の遺骨は生前の遺言に基づいて日本と台湾に分骨され、台湾では海明禅寺に納骨された。その富田氏の晩年の秘書を務めた阿尾博政氏は2014年、白団の団員を顕彰し、その歴史を風化させないことを目的とする「白団顕彰会」を創設。毎年、富田氏の命日に当たる4月26日前後に同寺を慰霊に訪れている。
台湾のコンサルティングファーム初のISO27001(情報セキュリティ管理の国際資格)を取得しております。情報を扱うサービスだからこそ、お客様の大切な情報を高い情報管理手法に則りお預かりいたします。
ワイズコンサルティンググループ
威志企管顧問股份有限公司
Y's consulting.co.,ltd
中華民国台北市中正区襄陽路9号8F
TEL:+886-2-2381-9711
FAX:+886-2-2381-9722