ニュース 社会 作成日:2017年5月16日_記事番号:T00070577
大腸がんのため15日に死去した人気司会者でコメディアン、猪哥亮(本名・謝新達)を追悼する声が各界から寄せられる中、台湾メディアは、彼が台湾のケーブルテレビ産業の発展に重要な役割を果たしたと伝えている。
猪哥亮は80〜90年代のテレビを笑いで満たした。彼のような男は二度と現れないだろう(15日=中央社)
台湾ではかつて1990年代初頭まで合法的なテレビ局は政府や国民党系の3局しか存在せず、放送されるバラエティー番組は政府によって内容が検閲され、タレントの出演料は1,350台湾元と決まっていた。
そんな中、多くの芸能人にとってキャバレーなどの舞台で上演されるショーが大きな収入源となっており、猪哥亮も70~80年代にかけて高雄市で隆盛を誇ったキャバレー「藍宝石大歌庁」の舞台への出演がスター司会者となるきっかけを作った。
当初、彼は同キャバレーで上演された寸劇の役者として出演したが、おかっぱ頭の独特な出で立ちと掛け合いの上手さ、軽妙なしゃべり口で瞬く間に注目を集め、その後、バラエティーショーの司会を任されるようになった。
猪哥亮のギャラは当初、1日2万5,000元ほどだったが、司会者としての腕を上げ、彼が司会を務めるショーを録画したビデオテープが多くの観光バスで放映されるようになり、知名度が「全国区」に高まると一気に10万元に相場が跳ね上がった。
なお猪哥亮は下ネタや社会的なタブーにも切り込む痛快な芸風を持ち味としていたため、検閲がある合法テレビ局の番組に出演することは難しかった。しかし当時、違法にケーブルを敷設して、日本の番組や録画した映画などを契約した世帯に提供する通称「第四台」と呼ばれる地下テレビ局が生まれており、その中には猪哥亮が司会を務めるショーのビデオテープを販売していた現在の三立電視(SET)や八大電視台(GTV)も含まれていた。
同2局が猪哥亮のショーをテレビ番組として放映するようになると「審査済み」の内容に飽き足らなくなった視聴者、特にブルーカラー層の新たな娯楽として受け入れられていった。
こうした状況を受けて政府は、娯楽としてのテレビや経済的商機の大きさに注目するようになり、ついに93年、「第四台」の合法化に踏み切った。そしてこれがきっかけとなり、次々に民間のケーブルテレビ局が誕生。台湾市民の娯楽生活を豊かに彩ることとなった。
こうして見ると、猪哥亮はたった1人で台湾のテレビ産業を大きく変えた立役者と言えるだろう。
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