ニュース 社会 作成日:2017年6月20日_記事番号:T00071207
台湾には太平洋戦争中に作られた防空壕(ごう)が各地に現存するが、当時、日本軍の後方支援基地として米軍の攻撃目標となっていた基隆港を抱える基隆市には1971年時点で682カ所もの防空壕が存在したとの記録が残っている。
台湾大学建築・城郷研究所で学ぶ大学院生、林佩儀さんを中心とする研究チームは今年、基隆の防空壕跡に関する研究を進めており、これまでに基隆港周辺30カ所の防空壕で調査を行った。防空壕の規模は数人程度が収容可能なものから、車が出入りできる巨大なものまでさまざまだ。
また基隆港西岸を通る中山三路沿いにある防空壕群は、内部が互いに連結した構造になっており、どんどん進んでみると、付近の山腹にある村、高遠新村近くの大型防空壕に通じていたという。
地元の歴史家、李正仁さんによると、高遠新村にはかつて、基隆港の築港にたずさわった技師や高官たちの宿舎があり、同港の中枢部的な役割を果たしていたことから山中に数多くの防空壕が作られたとされる。
なおこれら防空壕は、当時の政府が建造したものばかりではなく、民間人が自分たちの家族用に掘ったものあり、国民党政府が戦後間もない1947年に台湾住民を弾圧した「228事件」が発生した際には多くの人がそこに身を隠したそうで、中には半年間も潜伏を続けて難を逃れた例もあるという。
「防空壕は基隆市の歴史の一部」と語る 李さんは、政府は一部を市民に開放すべきと提言しており、同市議会議員からも内部が連結した防空壕のような珍しいものは、観光資源になり得るとして有効活用すべきとの声も上がっている。
なお彰化県では既に大型の防空壕を戦争史博物館に改造して市民に開放。台南市麻豆でもインスタレーション(空間芸術)の一部として活用したり、子供用の「秘密基地」に改造するなど、各地で再利用の試みが進められている。
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