ニュース 社会 作成日:2017年9月11日_記事番号:T00072799
台南市の成功大学で9日、2015年に亡くなった台湾生まれの日本人女性の遺志に基づき、彼女の財産の約半分に当たる4,939万円が寄付金として贈呈された。女性の息子2人が参加した式典では、彼女が同大への寄付を願ったいきさつが披露された。
泉浩平さん(左3)、泉晴次さん(右2)の兄弟が成功大を訪れ、蘇慧貞学長(右2)らに母の気持ちを届けた(9日=中央社)
今回、遺産を寄付した故・泉美代子さん(享年82)は日本統治時代の1933年に台湾で生まれたいわゆる「湾生(わんせい)」だ。彼女の父親、百瀨五十さんは当時、成功大学の前身に当たる台南工業高等学校で教師を務めるとともに有機化学の研究に打ち込んでいたという。
百瀨さんは45年の敗戦により台湾に在住していた日本人がほぼ全て日本に引き上げる中、国民党政府の徴用を受け入れてそのまま台湾に残ったが、47年の戒厳令発令により帰国を余儀なくされ、その後日本で長く高校教師を務めた後、89年に亡くなった。ただ百瀨さんと台湾の結び付きは強く、74年にはかつての教え子の招きに応じて来台し、旧交を温めたこともあったようだ。
一方、美代子さんは台南市の小学校に通う12歳の時に終戦を迎え、父親とは離れて一足先に日本へ引き揚げた。その後、「今後は女性にも教育が必要」との考えを持つ父親のおかげで、当時の女性としては珍しく大学へと進学。教職に従事し、日本における「働く女性」の先駆けとなった。
そんな美代子さんが一昨年、82歳で亡くなった際、彼女の息子2人は「遺産を4分の1ずつしか受け取れない」と聞かされ、理由が分からずとまどったという。その後、母親の遺品を整理すると、彼女が05年の時点で遺書を作成しており、財産の半分を成功大に寄付すると決めていたことが判明した。
遺書によると美代子さんは、父親のおかげで教育を受け、「職業婦人」となることができたが、その父の晩年、仕事が忙しく十分な介護ができず心残りとなっていたそうだ。そんな彼女は、奨学金を通じて台湾の学生の脳裏に一瞬でも「百瀨五十」の名が浮かべば、亡き父親が研究を続けたいと願ったこの学校に戻って来られると考えて、財産を成功大に寄付することを決意したという。
今回の贈呈式に出席した美代子さんの長男、泉浩平さんによると、小さい頃、家の食卓にはバナナやパイナップル、竜眼、焼きビーフンといった台湾の食べ物が当然のように出されていたそうで、彼女は生まれ育った台湾に対し特別な感情を抱いていたようだ。
また浩平さんは、母親がかつて日本統治時代に台湾人が日本語の使用を強制されていたことに申し訳ない気持ちを抱いていたことを明らかにし、これも寄付を決めた理由の一つではないかと語った。
なお美代子さんの寄付金は今後、主に化学系の学生を対象に、毎年8~12人に奨学金として支給される予定だ。
台湾のコンサルティングファーム初のISO27001(情報セキュリティ管理の国際資格)を取得しております。情報を扱うサービスだからこそ、お客様の大切な情報を高い情報管理手法に則りお預かりいたします。
ワイズコンサルティンググループ
威志企管顧問股份有限公司
Y's consulting.co.,ltd
中華民国台北市中正区襄陽路9号8F
TEL:+886-2-2381-9711
FAX:+886-2-2381-9722