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元阪神・林威助が現役引退、15年のプロ野球生活に幕


ニュース 社会 作成日:2017年10月2日_記事番号:T00073210

元阪神・林威助が現役引退、15年のプロ野球生活に幕

 かつて阪神タイガースで主軸を務めた後、台湾へ戻り活躍したプロ野球選手、林威助外野手(38、中信兄弟エレファンツ)が30日に行われた2軍の優勝決定戦に出場した。同選手は既に今季限りで引退する意向を表明しており、今後、3試合を残す1軍での出番がなければこれが15年にわたる現役生活最後の試合となる。

 台中市出身の林選手は、小学生の時に野球を始めた。中学生で早くもその才能に注目が集まるようになり、日本の柳川高校(福岡県)から勧誘を受けて野球留学。2年遅れでの入学だったこともあって甲子園とは無縁だったが、努力を続け、進学した近畿大学での活躍がスカウトの目に止まり、2002年のドラフト会議で阪神から7巡目で指名を受けてプロ入りを果たした。

 ミスタータイガースと呼ばれた掛布雅之が着けていた背番号「31」に変更した06年から徐々に1軍での出番が増え始め、07年にはレギュラーに定着。この年は打率2割9分2厘、15本塁打、58打点と日本時代最高の成績を残した。

 しかしその後は故障もあって出場機会が減り、13年に球団から戦力外通告を受けた。日本球界での現役続行を目指し、合同トライアウトを受験したものの獲得球団は現れず、結局、中華職業棒球聯盟(CPBL)のドラフトを通じて中信兄弟への入団を決めた。台湾へ戻った当初は引き続き故障に苦しんだが、チームのキャプテンに就任した15年は打率3割9厘、昨年も3割1分と活躍した。

 今年は2軍で打率4割台の成績を残しながらも1軍での出場機会はわずか7試合にとどまり、林選手は「けがを恐れて全力プレーができなくなった」との理由で先ごろ今季限りでの引退を表明していた。

 なお中信兄弟は1軍にプレーオフ出場のチャンスが残っていたため、林選手は引退試合の実施を固辞。このため26日から行われた2軍の優勝決定シリーズには最後の勇姿を見ようと多くのファンが詰め掛け、中には日本から駆け付けた阪神ファンの姿もみられた。

 30日の試合では8回表に代打に立ち、三振に倒れたが、打席を後にする際、チームメートの抱擁と拍手に迎えられた林選手の目には涙が浮かんでいた。

 なお中信兄弟1軍は既にプレーオフ進出の可能性が消滅しており、残り試合に林選手が出場する可能性について球団代表は「選手の意向を聞いて判断する」とコメントした。