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台湾文学紹介に尽力、翻訳家・天野健太郎さん死去


ニュース 社会 作成日:2018年11月15日_記事番号:T00080425

台湾文学紹介に尽力、翻訳家・天野健太郎さん死去

 これまで日本で出版された多くの台湾文学作品の翻訳を手掛けた翻訳家、天野健太郎さんが12日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。47歳だった。天野さんは翻訳だけでなく、近年は台湾の作家を日本に招き、通訳として日本の読者に引き合わせるといった活動も行っており、「台湾文学にとって大きな損失」と追悼する声が上がっている。

/date/2018/11/15/19kakomi_2.jpg15年に台湾文化センターで直木賞作家の東山彰良氏(右)と対談する天野さん(左)(中央社)

 天野さんは1971年愛知県生まれ。京都府立大学文学部を卒業、2000年から中国語の学習を開始し、台湾師範大学・国語教学センター(台北市大安区)で学ぶなど約4年、台湾で暮らした。

 天野さんが白水社の公式サイトに寄稿したエッセー『台湾文学の謎』によると、台湾へ渡るまで彼は翻訳を含め台湾の文学作品を全く読んだことがなかったが、留学中に街の書店に立ち寄り、何となく背表紙を見て本を買うようになったという。

 そこに書かれた中国語を「美しい」と感じ、戦後の国際情勢が歴史を既定し、外来政権が言語を決定し、強権政治が文化を限定する中、アイデンティティーへの渇望を秘めて文体や技巧をひたすら磨きあげた台湾人作家たちによって生まれた物語に「心の奥底を打たれた」という。天野さんは、「30年以上日本の小説ばかり読んできた自分がおもしろいのだから、日本人が普通に読んでもそりゃおもしろいだろう。きっと喜んでくれる人がいるはずだ」と考えて翻訳を手掛けるようになったそうだ。

 そして00年の政権交代から8年が過ぎ、それまでタブーとされてきた台湾の歴史を新しい視点で描く作品が次々と発表されるようになった09年、台湾から日本へと戻っていた天野さんは、国共内戦に敗れた国民党政府軍と戦乱を逃れた民間人とが大挙して台湾へ押し寄せた1949年の様子を描いた龍応台氏のノンフィクション『大江大海一九四九』に出会って感銘を受け、版権の取得に奔走。12年に自らの翻訳により白水社から日本語版『台湾海峡一九四九』の出版にこぎ着けた。

 その後、天野さんは▽『交換日記(原題・交換日記1)』(張妙如著)▽『台湾少女、洋裁に出会う(原題・母親的六十年洋裁歳月)』(鄭鴻生著)▽『星空』(幾米著)▽『歩道橋の魔術師(原題・天橋上的魔術師)』(呉明益著)──といった数多くの翻訳を手掛け、それまでほとんど日本人の目に触れる機会のなかった台湾文学作品が日本の書店でも見られるようになった。

 そんな天野さんが手掛けた最新の翻訳作品『自転車泥棒(原題・単車失窃記)』は今月7日に発売された。17日には台北駐日経済文化代表処台湾文化センター(東京都港区)で行われる著者の呉明益さんを招いた刊行記念トークで通訳を務める予定だった。