ニュース 社会 作成日:2019年5月16日_記事番号:T00083564
林毅夫・北京大学新結構経済学研究院院長(66)は1979年、中華民国陸軍の上尉連長(中隊長)でありながら中国へ亡命し、その後、経済学者として成功。欧米以外の出身者として初めて世界銀行上級副総裁の地位まで上り詰めた。林氏がこのほど聯合報のインタビューに応じ、故郷、台湾への思いを語った。
林氏は台湾の宜蘭県で生まれ、本名は「林正義」だった。71年に台湾大学農学院に入学して反共学生運動に熱中、同大を中退して陸軍士官学校へ移った。その後、軍人の身分で政治大学企業管理研究所で学んだ上で軍に戻り、79年2月に当時国共対立の最前線だった金門島に配属、上尉連長に任命された。
軍人としてエリート街道を歩んでいたが、同年5月に金門島から泳いで対岸の廈門(アモイ)へ渡り、中国に亡命。「林毅夫」と改名して北京大学経済学部へ入学した。翌年、同大を訪れたノーベル賞経済学者、セオドア・シュルツ氏の通訳を務めて高い評価を受けたことがきっかけとなり、米シカゴ大学への留学が決まった。
米国で博士号を取得して87年に中国へ戻り、国務院農村発展研究センター発展研究所副所長、世界銀行顧問、北京大学経済学部教授などを歴任。2008年5月に世界銀行上級副総裁兼主任エコノミストに就任した。
林氏は今回のインタビューで、79年に中国へ渡った理由について「自分の祖国は対岸(中国)であり、ここ(台湾)にいては中国の復興に関われないと心に大きな葛藤を抱えていた」と語った上で、「実行しなければ一生の心残りとなると思った」と説明した。また自分のように、中国の若者が中国へ帰るのに特殊な方法を用いる必要があったことは「民族の不幸だ」と語った。
林氏は現在に至るも台湾で「指名手配犯」の扱いを受けており、帰郷できない状況だ。台湾には「もちろん帰りたい」と語ったが、帰れないという代償を払っても、やるべきことをやり通したと強調した。
なお林氏は米中貿易戦争について、「中国経済への打撃は確実だが、影響は限定的」と分析し、最悪の場合でも経済成長率への影響は0.5ポイント程度と予測した。
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