ニュース 社会 作成日:2019年11月1日_記事番号:T00086659
沖縄を象徴する建造物、首里城が31日未明に発生した火災で焼失したことは台湾でも大きく報じられた。その中で、かつて琉球の王が使用した「正殿」が約30年前に復元された際、台湾から運ばれた大量のヒノキが使用されたとのエピソードが紹介され、関心を集めている。
沖縄は台湾人にとって人気の観光スポットで、首里城焼失には惜しむ声が多く上がっている(31日=中央社)
首里城は15世紀に成立した琉球王国の王城で、政治の中心地だったが、戦火により4度にわたり焼失した。
第2次世界大戦中の1945年に米軍の砲撃を受けて全壊した後、沖縄県民の間で再建を望む声が高まり、58年に首里城の正門「守礼門」が復元されたことをきっかけに首里城全体の再建計画がスタートした。
ただ首里城に関する記録はほとんど残されておらず、わずかな資料や写真、古老の記憶を頼りに工芸家や職人が知識と技術を総動員して作業を進めた。79年に本格的な建設作業が始まり、92年に正殿を中心とする城郭や建築物群が復元され、首里城公園として開園。2000年には「首里城跡」として世界遺産に登録された。
首里城の復元工事に関わった沖縄県の建設会社、国建の資料によると、正殿の建設には幹の太い木材が大量に必要だったが、日本では調達できないため、国内の復元建築物で実績のあったタイワンヒノキが候補に挙がり、関係者が89年に台湾を調査に訪れた。
しかし当時、台湾ではタイワンヒノキの伐採量が制限され、調達価格の高騰が予想された。しかし、宜蘭県の木材業者が供給を約束したことで、建材の確保が実現したという。
タイワンヒノキは日本統治時代の1912年、阿里山森林鉄道が敷設されて以降、伐採が本格化し、日本本土に向けて大量に供給された。このため日本の歴史的建造物には再建用にタイワンヒノキを使用した例も多く、その中には▽明治神宮▽靖国神社▽東大寺▽薬師寺▽平安神宮──など著名な神社仏閣も含まれる。
首里城については県や政府が既に再建に取り組む姿勢を示しており、再び台湾に協力を求める可能性も出てくるかもしれない。
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