ニュース
社会
作成日:2008年7月21日_記事番号:T00008943
蒋介石の日記公開、228事件の記載も
米国スタンフォード大学フーバー研究所文書館が所蔵する蒋介石元総統の直筆日記で、これまで未公開だった1946~1955年分が、18日に初めて公開された。日記は228事件に関する記載が随所に見られ、当時の蒋介石の考えや対応などを把握できる第一級資料として注目されている。
228事件に関する初めての記載は、事件発生の翌日、1947年3月1日の日記で、「台湾の群衆は紙たばこの専売などに反対するため、内地各省出身の在台同胞を殺害、暴動地域は既に拡大している。軍隊が台湾を離れたことも重要な原因である」とつづられている。
蒋介石が当時、最も力を注いでいた重要課題は、共産党の根拠地・延安の攻略だった。228事件の重大さを認識するようになるのは、事件発生から1週間以上も経過してからのことで、日記からは当時の陳儀台湾行政長官による「計画的、組織的な反乱行為」との報告が、蒋介石の同事件に対する認識や対応手法を左右したことが読み取れる。
3月8日の日記には、「暴動は既に台湾全土に拡大し、深刻極まりない状態だ。公侠(陳儀長官)は事件の報告を速やかに行わず、災いが拡大するまで天下太平と偽っていた」など、陳儀長官への批判が多くみられる。「今月は台湾事変の処理に忙しい」「台湾事変の処理の監督、指導を今週の最優先課題とする」などの記載もある。
日記からは、228事件がちょうど延安攻略が最終段階を迎えていた時期に起き(延安は3月19日に陥落)、不測の事態への対応に苦慮している様子がうかがえる。