ニュース 社会 作成日:2020年4月27日_記事番号:T00089656
17年前の4月24日、台北市和平医院(現在の台北市立聯合医院和平婦幼院区)は重症急性呼吸器症候群(SARS)の院内感染発生を受けて封鎖され、その後2週間で137人が感染、院内で26人が死亡する事態となった。現在でも賛否両論があるこの封鎖措置について、当時、支援のため現場に入った医師が当時の様子を振り返った。
同院を訪問した陳時中衛生福利部(衛福部)長は、痛ましい記憶があったからこそ各界がたゆまず感染予防に努め、前進していけると語った(25日=中央社)
2003年4月24日に和平医院でSARSの院内感染が発生したとの報告を受け、当時台北市長だった馬英九前総統は各機関の責任者と議論し、同病院を直ちに封鎖することを決めた。その結果、院内にいた医師、看護師、患者とその家族、合わせて1,000人以上が外へ出ることを禁じられた。
現在、台北市立聯合医院の副総院長を務める璩大成氏は、台北市立仁愛医院の副院長だった当時、支援のため、封鎖された和平医院へ入ることとなった。
神経外科医として長いキャリアを持ち、1999年の921大地震(中部大地震)で救助活動に加わった経験も有する璩氏だったが、和平医院に入った時の方が恐怖を感じたと証言した。
璩氏はまた、当時、SARSは原因不明の病で、感染力が強い上、致死率が高く、治療薬も存在せず、多くの医師や看護師も犠牲になったことで強い衝撃を受けたと語った。そして、そんな中での支援活動ついて「まるで素手でトラやゾウと戦うような感覚だった」と振り返った。
璩氏は現在、17年の時を経て再び新型コロナウイルスという恐ろしい感染症との戦いに挑んでいるが、「(過去の経験から)われわれには防疫上の標準作業手順(SOP)があり、マスクや防護服の使用にも熟練しているため、少なくともウイルスに対抗する武器を持っている」と語った。
当時の病院封鎖という措置が正しかったかどうかを聞かれた璩氏は「今でも答えは出ていない」と応じたが、「しかし、和平医院の封鎖という経験があったからこそ、今の医療体系が構築できたことは言える」と続けた。さらに現在の台湾における感染防止体制は17年前に比べかなり強化されたと指摘し、「今回の流行が終息すればまた安心して生活できる日々が戻ってくると信じている」と語った。
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