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「自動車界の女王」、呉舜文・裕隆企業総裁が死去


ニュース 自動車・二輪車 作成日:2008年8月11日_記事番号:T00009448

「自動車界の女王」、呉舜文・裕隆企業総裁が死去

 
 自動車大手の裕隆企業集団を長年率いてきた女性経営者の呉舜文総裁が9日午後3時35分、高齢による心肺不全のため、台北市の栄民総医院で死去した。96歳だった。10日付工商時報が伝えた。
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生前の呉舜文総裁(右)(中央社)
 
 呉総裁は27年前に夫の厳慶齢氏と死別後、裕隆集団の第2代董事長に就任し、グループの経営を背負ってきた。台湾に自動車産業を根付かせるとした夫の理念を引き継ぎ、1981年には桃園県の亀山工業区にエンジニアリングセンターを設置し、初の国産車「飛羚」の開発に成功した。呉総裁は裕隆汽車の董事長を26年にわたり務めた後、その座を昨年7月に息子の厳凱泰氏に譲っていた。

 呉総裁は厳凱泰氏ら家族に見守られ、安らかに息を引き取ったという。裕隆企業集団本部(台北市敦化南路二段)では11日朝から一般の弔問を受け付けている。

 呉総裁は自動車事業だけではなく、言論界や教育界でも影響力を発揮した。1986年には「呉舜文新聞奨助基金会」「呉舜文新聞賞」を創設し、優秀な新聞報道に対する表彰活動を行ってきた。