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「反共義士」廉保生氏の遺灰、51年ぶりに中国へ帰郷


ニュース 社会 作成日:2016年9月30日_記事番号:T00066647

「反共義士」廉保生氏の遺灰、51年ぶりに中国へ帰郷

 台湾はかつての冷戦時代、中国と厳しく対立し、1980年代終わりまで、中国から軍人や市民の亡命があった。彼らは「反共義士」と呼ばれ、台湾政府は報奨金を付与するなど保護、支援してきた。65年に爆撃機で同僚兵士2人とともに台湾へ渡り、着陸直後に死亡した廉保生氏も反共義士の1人と認められ、空軍基地に手厚く埋葬された。しかし、同氏の亡命は本人の意志ではなく、台湾への投降を拒否して自害したとも伝えられており、中国政府は昨年、彼を共産主義革命に殉じた「革命烈士」に認定。このほど遺族が台湾を訪れ、遺灰を故郷に持ち帰った。

 65年11月11日、人民解放軍空軍の通信員兼機銃手だった廉氏は、パイロットの李顕斌氏、航空士の李才旺氏とともにIL-28爆撃機に乗り込み、浙江省杭州市を出発してそのまま海を渡って台湾へ向かい、桃園の大園空軍基地に着陸した。

 ところが台湾政府の説明によると、廉氏は着陸直後に死亡。その理由について台湾政府は明らかにしなかったが、彼を反共義士と認定し、その遺体を桃園市の空軍基地近くの公共墓地に埋葬した。

 一方、中国側は台湾へ渡った廉氏を「裏切り者」と断罪。翌年から約10年間続いた、「反革命勢力」の打倒を旗印とする「文化大革命」において、残された廉氏の一族は厳しい批判の対象となった。

 しかしその後、ともに亡命した李才旺氏は米国へ移住した後、83年に中国へ戻り「台湾行きは李顕斌氏に脅迫されて実行した」と証言。さらに当時、爆撃機が着陸した現場に駆け付けた台湾側の関係者からも「廉氏は台湾への投降を拒否して機内で自殺した」との証言が語られたことから、中国政府は彼を革命烈士と認め名誉を回復、昨年、遺族に「烈士証明」を発給した。

 なお廉氏が眠る墓地を含む一帯では再開発計画が持ち上がっており、同墓地の保存の是非が話題となった。これを報じたニュースが中国側に伝わり、廉氏の遺族が遺骨を故郷に持ち帰りたいと希望し、このたび実現する運びとなった。

 今月22日に来台した廉氏のおい、廉成剛氏は台風17号(アジア名・メーギー)が上陸した27日、激しい雨と風の中でおじの遺骨を墓から掘り出し、火葬した後、28日に遺灰を故郷へと持ち帰った。

 廉氏は反共義士だったのかとの問いに対し、国防部は28日、「既に考証は難しい」と回答した。