ニュース 社会 作成日:2017年1月24日_記事番号:T00068698
21日に台北晶華酒店(リージェント台北、中山区)で行われた結婚披露宴に出席していた台湾水泥(台湾セメント、台泥)董事長の辜成允氏(享年62)が、ホテル内の階段から転落して頭を強く打ち、搬送先の病院できのう(23日)亡くなったことを受け、各界から哀悼の声が相次いでいる。
辜成允氏(左)。ちなみに辜家の繁栄は、辜成允氏の祖父の辜顕栄氏が日本の台湾統治開始に当たり、日本軍の台北入城を導いた功績から始まった(中央社)
辜成允氏は「台湾5大名家」の一つとされ、彰化県鹿港を出身地とする「辜家」の第3世代で、台湾セメント董事長や海峡交流基金会(海基会)董事長を務めた辜振甫氏(2005年没)の次男として生まれた。
米国への留学から戻った81年に台湾セメントに入社。次男だったことから後継者候補とは目されていなかったものの、91年に長男の辜啓允氏が48歳の若さで急死したことを受けて同社総経理に就任。03年には父親の後を次いで董事長となった。
なお父、辜振甫董事長時代、台湾セメントは、同氏が海基会董事長を務める立場から中国進出に慎重姿勢を取ったことで商機を逃したこともあり、辜成允氏が総経理に就任した際には負債額が300億台湾元に膨れ上がっていた。
このため経営の指揮権を握った辜成允氏は、直ちに中国展開を強化し、一気に265億元を投資した。また、古参幹部の激しい反対を押し切って勤務年数ではなく業績を基にした昇格制度の採用や終身雇用制の廃止といった組織改編を行うなど、10年をかけて経営改革を進めた結果、13年に同社純利益は100億元を突破。見事、経営の立て直しに成功し、「富は3代続かず」という台湾の俗説を覆してみせた。
かつて「自分が(名家の)辜という姓を持つことに引け目を感じていた」と話していた辜成允氏はこの時、「この姓に恥じることはなくなった」と胸を張った。
また農家になることが幼いころの夢だったという同氏は、08年に約3万種の熱帯植物を集めた世界最大規模の植物研究センターを開設。その突然の死に「彼のようにビジネスの手腕だけでなく、文化的素養、環境保護への関心も高く、責任感の強い経営者は少ない」など惜しむ声が数多く上がっている。
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