ニュース 社会 作成日:2018年12月24日_記事番号:T00081163
選手としてはプロを経験を持たないにもかかわらず、21年もの間、台湾プロ野球界でコーチを務めた一人の日本人がいる。一色優さん(47)はコンディショニングコーチとして長く統一セブン-イレブン・ライオンズや台湾代表チームに貢献。今シーズン限りで退団を決めたことに、球界から感謝と惜しむ声が上がっている。
大阪府枚方市出身の一色さんは、プロ野球関連の仕事に携わりたいと模索していた26歳の1997年、台湾の新設球団、和信ホエールズの監督就任が決まっていた李来発氏(元南海ホークス)に紹介され、台湾へ向かった。
ただ李氏が「紹介された時は面倒を見ると承知したが、すぐに来るとは思わなかった」と当時を振り返るように、何の経験もない一色さんに仕事はなく、来台後半年間は住む場所と食事だけは与えられたものの、無給で事務仕事を担当していたという。
しかし中国語の習得とコーチとしての修行に必死に取り組む姿勢が評価され、半年後にはコンディショニングコーチとして報酬が得られるようになり、さらに5年間も契約を更新し続けることとなった。
ホエールズとの契約が切れた2002年、一色さんはいったん日本へ帰国したが、大阪でスポーツトレーナーの専門学校で専門知識に磨きをかけていたところ、すぐに統一ライオンズから声がかかり、翌シーズンからコーチに就任することが決まった。その後、今シーズンまで16年、ライオンズでコンディショニングコーチを続け、その間、5度の「台湾一」を経験した。さらにその手腕を買われ、12年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選で台湾代表のコーチにも招へいされた。
入団した04年以降、長年にわたり一色さんから指導を受けたライオンズのベテランスラッガー、高国慶選手(40)は退団の知らせを受けて「台湾には彼のようなコーチが本当に必要だ。いなくなることは台湾の損失だ」と惜しんだ。また高選手によると、以前冗談で「いつか自分が監督になったらヘッドコーチに就任してもらう」と話したこともあったそうだ。
球団側は何度も退団を引き留めたそうだが、一色さんの気持ちを変えることはできなかったという。ちなみに一色さんは今後、数年前に結婚した台湾人の妻とともに米シアトルに渡り、ラーメン店を開業する計画だ。
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