エイサー大研究(上)―成長の経緯―


2009年9月1日0:00  リサーチ 経営 台湾事情

エイサー大研究(上)―成長の経緯―

記事番号:T00017617

以下は2009年9月に公開した「エイサー大研究(1)-(5)」を編集したものです。


 パソコン業界は世界的な経済不況の影響により、2008年第4四半期から先進国、新興国にかかわらず前例のない落ち込みを見せている。ガートナーの予測では、2009年のパソコン販売台数は世界市場全体で前年比11.9%も減少し、2001年以来で最悪の落ち込みになる見通しだ。

 2008年第4四半期のパソコン業界上位5社の出荷量を見ると(図1)、不況の中で Acer(エイサー、宏碁)社が最も成長を遂げたことが分かる。Acer社のこれまでの歴史から、ビジネスモデルと成長を続ける強さの秘密を探る。

<概要>

設立:1976年8月1日

創業者:施振栄氏(スタン・シー)(1944年生まれ・彰化県鹿港出身)

現董事長:王振堂氏(J・T ワン)(1954年生まれ・彰化県鹿港出身)

従業員数:6877人(2008年2月末時点)

2008年の売上高:5463億台湾元

<沿革>

 Acer社の発展の歴史は、4段階に分けられる。黎明期(1976年~1986年)、飛躍期(1987年~1995年)、グループ再編期(1996年~2000年)、転換期(2001年~現在)である。

一.黎明期(1976年~1986年)

1976年 Acer社創立。製品デザインと貿易に専念

1979年 台湾で最初の輸出向けコンピューターを設計し、大量生産に成功

1981年 初の自社ブランド「MicroProfessor-I」を発表

1983年 台湾で初めてパソコン/XT製品を普及させることに成功

1986年 IBM社に先駆け、32ビットパソコンを発売

 設立から10年間、Acer社は「性善説に対する創設者の強い信念」に基づく社風を確立した。全従業員が自社株を取得して株主となった。黎明期のAcer社は台湾の情報産業の礎となる3000人のエンジニアを育成し、その後の台湾コンピューター業界の拡大に大きく貢献した。

二.飛躍期(1987年~1995年) 

1987年 Acer社は自社ブランド名を「Multitech」から「Acer」に変更。799万米ドルで米国のコンピューターポイントを買収。グループ連結の総売上高は100億台湾元を突破 1988年 台湾証券取引所に上場。150万米ドルでSIを買収。米国でのチャネル確保を狙う 1989年 創業して初めて利益が目標を下回ったことを機会に、組織再編を実行。組織の規模を縮小し評価制度を導入。組織を多数のプロフィットセンターへ変更した。同年、マレーシア工場を設立し、初の海外進出を試みた

1990年 9400万米ドルで米アルトス・コンピューター・システムズを買収

1991年 アルトス社との統合がうまくいかず、創業して初めて6億700万元という大規模な損失が発生した。これを受けて台湾で300人、米国で100人を削減した

1992年 連結売上高は300億元を突破。しかし、当時競合のコンパックがパソコン価格を30%下げたことで、業界全体が低利益体質に変わった。そこで「経営変革」を実行した

1994年 世界7位、中南米1位のパソコンメーカーとなった

1995年 連結売上高は1500億元突破。米国市場でAspireの販売を始めたが、市場の反響は思わしくなかった

 1992年の経営変革は、権限区分の不明確、外部に対する危機感の欠如、効率の悪化といった問題を解消するためのものだった。これを経たAcer社は1993~1995年に著しい成長を遂げた(下表)。経営変革の要点は四つあった。

(1)経営理念の改造:グローバル化と現地化の同時推進

海外拠点では、株式の半分以上を現地の人材に移譲し、現地化を進めることにより経営効率を高める。また、21 in 21(21世紀に海外で21社の上場子会社を持つ)と2000 in 2000(2000年の売上高を2000億元に)の2つの目標が挙げられた。

(2)組織編成の改造:主従関係の構築による分散管理

海外の各事業ユニットを経営の「主」とし、大幅な裁量権を与えた。台湾本部による各事業ユニットへの経営参画は、各事業ユニットの株主総会を通すことを原則とした。各事業ユニットは、他の事業ユニットをサポートする際は「従」の役割も果たす。

(3)フローの改造:「ファストフードレストラン」モデル

コンポーネントの生産に専念するとともに、需要地で組み立てることにより、出荷のスピードとコストを大幅に改善できる。これにより市場の変化とニーズをより速くフレキシブルに対応することができる。

(4)価値の見直し:スマイル・カーブ

ファートフードレストランモデルを社員に納得してもらうため、施振栄氏は「スマイル・カーブ」を作成した。(図2)製品の開発から販売に至る流れを横軸とし、製品が創造できる付加価値を縦軸にして図示すると、両側が持ち上がった曲線を描くことを表したものである。人が笑ったときの口のような形なので「スマイル・カーブ」と呼ばれる。施振栄氏は両端にある、製造する前の開発(R&D)や製造後のサービスなどに注力していくべきと主張した。 

三.グループ再編期(1996年~2000年)

1997年 テキサスインスルツメンツ(TI)社のノートパソコン事業を買収

1998年 グループを宏電グループ、明碁グループ、宏科グループ、宏碁半導体グループ、宏剛グループの5つに分ける

1999年 米国市場にて代理店販売をオンライン販売方式に変更

2000年 2回目の「経営変革」を実施

 Acer社は創立20週年の記念イベントで、発展の第3段階の幕開けを宣言した。包括的な基本目標として技術革新とシンプルな操作性を掲げ、最も新しい、最も手ごろなテクノロジーを世界中の消費者に届けることを最優先事項とした。

 1997年にTI社のノートパソコン事業を購入したことは、後にAcer社を大いに成長させた。欧州におけるマーケテイングに長けた人材を入手したからだ。現総経理のジャンフランコ・ランチ氏やCMOのジャンピエロ・モルベーロ氏などである。これにより、中華圏でコストパフォーマンスに優れた製品を作り、欧州でそれを出荷するという営業形態が整った。

 Acer社は、自社ブランドを製造・販売している一方で他社ブランド製品も製造していたため、管理が複雑だった上にODM事業の顧客から不満が出た。1998年には5つのグループに分けたが、資源をうまく分配できず、グループ全体の成長まで止まってしまった。

 これを乗り越えるために、2000年に2回目の経営変革が展開された。傘下の5グループを再度統合した上で、自社ブランドパソコンの経営に専念する「宏碁(Acer)」、OEM・ODM事業を担当する「緯創資通(Wistron)」と、家電中心の「明基電通(BenQ)」の3社に再編した。

四.転換期~現在(2001年~現在)

 設立から26年、Acer社は製造業者から世界に認められたコンピューターブランドに進化した。

2001年 “三一”と“三多”戦略を打ち出した。三一は、単一の会社・ブランド・チームを表す。顧客にとって分かりやすい、コストの低い会社をつくることを意図した。三多は、多数のサプライヤー・製品ライン・チャネルを指す。Wistron社以外にも設計・製造を委託してコストを減らし、製品種類の充実や品質の向上、チャネルの多様化を狙った

2004年 ノートパソコンで世界5位のブランドとなり、上位5社の中で最も高い成長を遂げる。同年、創業者の施振栄氏が引退

2005年 王振堂氏が董事長兼CEOに就任。ジャンフランコ・ランチが総経理に就任

2007年 7億1000万米ドル(約250億元)でGateway、Packard Bell、eMachinesを買収。売上高が5000億元を突破し、世界第2位のノートパソコン企業となった

2008年 90億元で倚天資訊を買収、スマートフォン市場に参入した 

コモディティーだからマルチブランド

 近年、パソコンの設計、製造はODM企業に委託することが当たり前となった。ノートパソコンのODMによる製造の割合は、2006年の時点で80%を超えている。その結果、パソコンのスペック面ではどこの会社も似たようなものとなり、製品自体で差別化を行うことが難しくなってきている。

 一般的な消費財となってきたパソコンは、購入プロセスが一般的な家電に近づいてきている。例えばテレビを買う際にスペックを詳細に調べて比較する消費者は少ない。デザインやブランドの好みが購買要因になっている。こうした中では、一つのブランドですべてのパソコンに対する需要をカバーし切れない。そう考えたAcer社は、ユーザーのセグメントごとに適切なブランドを用意する「マルチブランド」戦略を進めた。

 2007年8月、Acer社は米国パソコン第3位のGateway社を7億1000万ドルで買収した。Acer社は、Lenovo社が2005年に米IBMのパソコン部門を買収して以来、HP、DELLに次ぐパソコン販売世界3位の座をめぐる争いをLenovoと繰り広げてきたが、Gatewayの買収成功によって、ようやくLenovoとの差を広げ、3位の座を安定させることができた。

 2008年1月にAcer社はオランダのPackard Bell社も傘下に組み入れた。その後はGateway、eMachines(同社は2004年にGatewayに買収されたため、2007年にともにAcer社傘下に入った)およびPackard Bellの4ブランドを保持している(図3)。

図3:GTWとPBとの統合を完了したエイサーグループの強み

あらゆるニーズに応えられる

 Acer社は、消費者を6タイプに分割し、それぞれに保有するブランドを用いた商品を投入する方針を採っている。6タイプとは

(1)業界をリードするハイテク専門家(Techno Leader)

(2)専門家ではないがそれに近い知識を持ち、やや資金が十分ではないユーザー(Techno Rational)

(3)やや保守的ながら専門家に追随するユーザー(Conventional)

(4)倹約家であるが高価値の技術を理解するユーザー(Practial&Value)

(5)シンプルさや簡単さを求めるユーザー(Simple&Easy)

(6)トレンディーなデザインや流行に敏感なユーザー(Trendy)

 これら6タイプのユーザーを、4つにグルーピングすると図4(右図)になる。(1)(2)(3)のユーザーに対してはAcer社ブランドを、(5)(6)のユーザーに対してはGateway(欧州ではPackard Bell)を(*1)、(4)のユーザーに対してはeMachinesをそれぞれ適用する。

 Acer社のマルチブランド戦略が発表されて間もなく1年になる。現在AcerブランドとGatewayブランドが自社シェアの8割を占めている。Acer社のCEOは2009年の方針発表会で、Acer社グループの成敗はマルチブランド戦略にかかっていると語った。しかし、まだ同戦略を導入していない地域もあるため、これからも戦略の実行にさらなる力を注いでいくことだろう。

(*1)Packard BellとGatewayのブランドの性格を比較してみると、両者にはかなりの共通項がある。似ているものを同じ地域に投入すれば、カニバリゼーション(共食い現象)が起きる可能性が高い。このため、Packard Bellはヨーロッパ・中東・アフリカに、Gatewayは北米とアジア・太平洋地域にと棲み分けさせている。この戦略に基づき、台湾と日本にはGatewayが投入されている。

番外編:Acer社はGateway社を買収したわけ

 Gatewayは北米で幅広い認知度を得ていたため、シェア拡大効果が当初から予想されていた。図5からも2008年に売上高において米国市場の比重が増加したことは明らかである。ただ、本当の狙いはLenovo社の欧州シェア拡大を食い止めることだった。Lenovo社はPackard Bellの買収をAcer社より先に発表していたものの、Gateway社がPackard Bell買収に関する優先権を持っていた。この結果Gateway社を買収したAcer社がPackard Bell社も獲得できた。

陳 逸如

陳 逸如

シニアコンサルタント

2006年にワイズコンサルティングに入社。コンサルティング、リサーチ、研修、セミナーで活躍。きめ細やかな心配りと、論理的思考力にはファンも多い。経営全般、マーケティング、人事労務のコンサルタントとして活躍している。ワイズリサーチ総経理。

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