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第69回 元慰安婦の心に寄り添う「阿嬤家」の取り組み


ニュース 社会 作成日:2017年3月31日_記事番号:T00069808

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第69回 元慰安婦の心に寄り添う「阿嬤家」の取り組み

 台北市迪化街(大同区)の問屋街を抜けると、通りのレトロな雰囲気に合わせた喫茶店やレストランがあちこちに見られる。昨年末にオープンした「阿嬤家(アマ・ミュージアム)」も1階が喫茶店で、落ち着いた茶色の色使いが風情ある趣を漂わせていた。台湾初の元慰安婦記念館である同館は今月、来館者が1万人を超えた。

/date/2017/03/31/20ama1_2.jpg「阿嬤家」は迪化街でも静かな一角に立つ(YSN)

 旧日本軍の慰安婦という言葉は、かなり否定的な響きを持つようになってしまった。若い頃に時代に翻弄されて辛酸をなめたおばあさんたちという事実よりも、韓国による反日運動のシンボルとしてのイメージが確立している。「ありもしない『強制連行20万人説』を韓国内で既成事実化し、ソウル日本大使館前のみならず釜山総領事館前にも慰安婦像を設置して、不可逆的解決を約束した日韓合意に背いた。戦後70年以上もたったのに、直接関係のない米国や豪州、ドイツにまで慰安婦像を建てて日本をおとしめ続けている」というのが、今や大方の日本人が持つ印象ではないだろうか。

 慰安婦問題で韓国は、自身を善良な被害者、日本を悪辣(あくらつ)な加害者と決め付け、何度謝っても蒸し返すしつこさに日本人はへきえきさせられている。阿嬤家でも同じような日本糾弾を見せつけられるのではないかと、やや身構えてその門をくぐった。

明らかな韓国との違い

 阿嬤家は手前と奥の2軒の連棟式長屋の一部を廊下でつないだ細長い造りになっている。喫茶店を抜けて奥の棟に入ると展示室があり、1階では慰安婦制度や、台湾人慰安婦がどのように戦地に連れていかれたのか、慰安所での模様などを写真やパネルを使って解説している。

 かつて慰安婦だったと名乗り出た台湾人女性は59人で、それぞれが陥った境遇がディスプレイで一人一人説明されていた。日本人仲介業者や警察官にだまされたといったという説明がある一方、「21歳の時、台湾人仲介業者にだまされて広東に連れていかれ慰安婦にさせられた」、「台湾人仲介業者の言葉から、海外での給仕の仕事と思ったが、ミャンマーに連れていかれ慰安婦にさせられた」と、台湾人仲介業者の甘言に乗せられたというケースが同じくらい目に付く。

 日本軍による強制連行の有無は、慰安婦問題における大きな争点であり続けてきた。この問題に対する同館のスタンスは、「『慰安婦』は強制だったか否かという議論があるが、どちらであったとしても、実態は性的な暴力であったという事実に変わりはない」というもので、展示室の入り口の大型パネルに文字が写し出されている。また「『慰安婦』というテーマは『反日』、『親日』といった議論に陥りやすいが、日本政府の『慰安婦』に対する態度に抗議することは、日本が憎いということになると思うか」とも呼び掛けている。すなわち、強制連行の有無を問題にするのではなく、当時の日本軍による慰安所管理を「軍事性奴隷制度」と定義して、それを戦時下の犯罪として反日主義とは関係なく問いただすというものなのだ。

 慰安婦記念館は韓国にもあるが、インターネットで調べると、そこには日本軍の軍服のような服を着た男に無理やり連行される韓服の少女の絵が掛けられていた。日本政府に謝罪と賠償を求める立場は同じでも、事実に対する姿勢と反日主義の有無で台韓の両記念館には明らかな違いがある。

心の傷を癒やす努力

 阿嬤家のもう一つの特徴は、「おばあさんたちの心の傷を癒やす」取り組みに関する展示の多さだ。1990年代から元慰安婦を支える活動に取り組んできた康淑華館長(財団法人台北市婦女救援社会福利事業基金会〈婦援会〉執行長)は、「彼女たちは戦後、周囲から『けがらわしい』『恥』などと言われて、自分もそう考えるようになってしまっていた。そうした心の傷を癒やし、尊厳を取り戻させてあげなくてはならないと考えた」と語る。

/date/2017/03/31/20ama2_2.jpg康淑華館長(YSN)

 康館長以下、婦援会のスタッフは、彼女たちの対日賠償訴訟(04年に敗訴確定)の活動を支援しつつ、昔の出来事をあえて話してもらって、痛み、辛さ、悲しみといった感情を分かち合い、心の負担を軽くしてあげることから始めた。さらに、絵を描いて感情を表現させたり、花飾りを作ることで心を癒やすなどさまざまな努力を続けてきた。彼女たちの作品は2階の大型スペースに展示されており、その時々の心情をうかがい知ることができる。

 1階の奥には、3人の元慰安婦の生涯を伝える展示がある。その中で目を引いたのは、黄呉秀妹さん(12年没)の夢をかなえたというキャビンアテンダント(CA)姿の写真だった。「1日だけCAをやってみたい」という当時93歳の秀妹さんの申し出に応え、中華航空(チャイナエアライン)に制服を貸してもらい、大型模型の飛行機の客室で婦援会のスタッフらにお茶を配ってもらったのだ。

/date/2017/03/31/20ama3_2.jpgCAの夢が実現しうれしそうな表情の黄呉秀妹さん。婦援会のスタッフたちが晩年の心の支えになった(同館提供)

 康館長は「阿嬤家の展示は生命の力と温かさ、愛情を表現している。元慰安婦のことを国と国との問題として見るのは、あまりにも幅を狭くしてしまう」と語った。こうした展示方針であるため来館者からは好意的な反応が多いという。少女像を建て続けるといった偏狭な政治活動とは一線を画し、元慰安婦の心に寄り添おうという姿勢は、日本人にも共感を呼ぶのではないだろうか。

 台湾人慰安婦も相次いで亡くなり、既に3人しか生存していない。康館長は阿嬤家の今後の役割について、歴史を記録するとともに、女性の人権向上に貢献する活動に取り組むと語った。日本人にとって慰安婦は重いテーマだが、日台関係の歴史を異なる視点から探る上で同館は足を運んでみる価値があると感じた。

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