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作成日:2009年3月17日_記事番号:T00014064
台湾経済 潮流を読む
第23回 「経済合作架構協議」の行方
2008年12月31日に開催された「台湾同胞に告げる書」発表30周年記念座談会で、胡錦濤国家主席が「両岸は総合性経済合作協議を締結し、両岸の特色ある経済協力メカニズムを作り上げることが可能である」と述べた。また、09年2月に入り、馬英九総統もその締結を選挙公約として推進していくことを明言している。それを契機に、中台間の経済協力活性化に関する文書締結をめぐる論争が台湾内で激しさを増していることは本紙でも報じられているとおりである。
2010年には中国・ASEAN(東南アジア諸国連合)包括的経済協力枠組み協定に基づき、ゼロ関税が基本的に両者間で適用されることになっている。それにより、ASEAN諸国と比べて対中輸出製品に適用される関税率が相対的に高くなることから、台湾の化学産業、機械産業、紡織産業などが中台間でも同様の文書を早期に締結するよう求めている。馬政権もそうした声にできる限り早く応える構えだ。それも論争の急速な高まりの背景にあろう。
論争の対立軸は、中台間でこの種の文書を結ぶことが台湾の主権を損なうのか、文書締結により台湾に経済的・社会的悪影響が及ぶのか否かという点にある。
主権問題への影響をめぐっては、①なぜ主権国家間などで使われる「協定」ではなく、「協議」という名称(馬政権発足後の三通関連の合意文書では「協議」が使われてきた)を使うのか、②対中経済依存度がさらに高まることで、中国との交渉上不利になり、中国との統一を余儀なくされるのではないかといった批判・懸念の声がある。また、それに関連する議論として、③台湾の政治的地位を左右しかねない重要な文書であるため、文書締結後に立法院に承認を求めるのではなく、事前に立法院等で審議したり、住民投票にかけたりするなどの手続きが必要なのではないかとの批判もある。
経済的・社会的影響をめぐる論争も始まっているが、案文が未定ゆえに、まだ具体的なものにはなっていない。当初提起された文書の名称が「総合性」経済合作協議であったことから、農産品などの中国製品・労働者の流入により台湾経済・社会に悪影響が及ぶのではないかと指摘する声もあったが、馬政権は、選挙公約どおり中国からの農産品や労働者の流入は認めず、中国・ASEANの例に基づき、台湾に利益のある領域を選び、段階的に開放を進めると説明している。そうした配慮から、文書の名称も先ごろ「経済合作架構協議」に変更されたものと推察される(「架構」は枠組みの意、なお名称は仮称との位置付け)。
生産要素のスムーズな移行が鍵
具体的な文書の案文や締結の枠組みが明示されていない以上、本格的な議論はできないが、経済効果についていえば、中台間の自由貿易の促進は台湾経済にとって基本的にはプラスとなるだろう。対中貿易上、他国と比べて台湾が相対的に不利益を被ることはなくなるし、比較優位に沿った「生産要素の効率的な配置」が促されることになるからである。
ただし、このような教科書的な解釈が早期に現実のものになるためには、「生産要素の効率的な配置」がスムーズに行なわれることが前提である。とりわけ比較劣位産業から比較優位産業にヒトがスムーズに移れるかどうかが鍵を握る。しかし、台湾の産業構造が技術集約型産業主体になるに従い、人材の産業間移動の障壁は高くなっている(なお、貿易自由化の経済効果を試算する場合は、生産要素が瞬時にストレスなく移動できると仮定されていることが大半である)。
この点に対して、台湾当局は08年11月に発表した「98-101年促進就業方案」などにより、人材育成を通じて世界金融危機の衝撃による雇用調整圧力を緩和しようとしているが、「経済合作架構協議」の早期締結が台湾側にも多かれ少なかれ対中関税率・非関税障壁の削減を迫るものにならざるをえない以上、台湾当局は人材育成のスピードをさらに上げなければならないという課題を負うことになるだろう。他地域との経済協力につなげられるか
加えて、「中国への一極集中の回避」が企業経営上も、台湾の経済安全保障上も無視できない課題であるとするならば、中国との「経済合作架構協議」の締結が他国とのFTA/EPA締結の礎石となるような道筋をつけることが必要である。そうでなければ、台湾の中国以外の国への輸出は依然として相対的に不利な状態に置かれ、地域経済協力の網の目の中に深く入りつつある中国やASEAN諸国への企業流出の懸念が付きまとったままとなる。
この点について、胡錦濤国家主席は上述の談話の中で、総合性経済合作協議の締結など、台湾が対中経済協力関係をさらに密接にしていけば、台湾がアジア太平洋地域の経済協力メカニズムに参加する道筋をつけやすくなるとの趣旨の発言をしている。ただし、中国のいう「一つの中国」の原則の承認がその前提条件とされている。
馬政権は「経済合作架構協議」はあくまで経済問題であり、主権問題ではないとの認識を強調している。ただし、中国側が上記のような条件を提示していることなどから、「経済合作架構協議」が主権問題に与える影響を懸念する台湾市民も少なくはない。中国側の出方もさることながら、この点について馬政権が自らの認識を裏付ける「経済合作架構協議」締結の枠組みを台湾市民に提示し、より幅広いコンセンサスを形成できるような政策決定プロセスを採用していくことは、台湾社会・経済の安定にとって必要な課題であろう。
みずほ総合研究所 アジア調査部主任研究員 伊藤信悟