ここ1、2カ月、新聞紙上で「燕子(ツバメ)が飛んできた」、「鴨子(カモ)を見た」という表現を見かけることが多い。ツバメは春になると北から飛んでくる。また、カモは人間よりも先に水が温み、春が来たことを察知するとされる(「春江水暖鴨先知」)。それゆえに、景気回復(「回春」)の予兆を知らせる経済指標が見られるようになったことの比喩(ひゆ)として、「ツバメが飛んできた」とか、「カモを見た」という表現が使われているのである。
現れ始めた景気底打ち感
実際、景気の先行指標ともいわれる株価(加権指数)は、2008年11月20日の4,090ポイントを底にしばらく低水準で推移していたが、09年3月中旬には5,000ポイントを突破、4月に入り、5,800台に達している。また、前年同期比ベースで見ると依然として大幅なマイナスではあるものの、08年2月の輸出受注指数、工業生産指数いずれも前月比で上昇に転じている(図表)。台湾積体電路製造(TSMC)などIT関連企業での無給休暇の取り消しも、本紙などで報道されているとおりである。確かに、経済指標を見る限り、IT産業を中心に景気の急速な落ち込みがひとまず収まった感があることは確かである。
このように景気の底打ち感が出てきている理由として、2点がよく指摘されている。一つは、先進国の顧客からの受注の急激な増加である。リーマンショック以後の需要の急減により在庫削減が相当程度にまで進んだことの反動である。
もう一つは、中国の「家電下郷」を背景とした受注増である。「家電下郷」は家電を購入した農民に対する補助金支給政策であり、中国政府はそれを通じて内需、とりわけ消費を拡大させるとともに、農民の生活レベルを向上させようとしている。「家電下郷」は07年12月に一部の省市で施行されていたものだが、09年2月には中国全土の農村に拡大適用されることになった。しかも、補助金支給の対象には、テレビや携帯電話、パソコンが含まれている。中でも、液晶テレビの購入意欲が高いことが分かっている(中国最大手の家電量販店である蘇寧電器の調査)。そうしたことから、台湾の液晶パネル、半導体メーカーなどへの受注が急増し、経済指標が改善しているものと考えられる。
依然残る先行き不安
ただし、台湾の景気の先行きには依然として不透明感が漂っている。輸出依存度が高いため、台湾の景気動向は輸出に大きく左右されるが、米国家計の過剰債務問題が残っている以上、米国の景気が急速に回復するとは考えにくい。欧州についても、米国同様、資産バブル崩壊による過剰債務問題に苛まれている国が少なくない。中国についても、「家電下郷」政策などの景気対策が台湾経済にとって追い風となることは確かであるが、台湾の主力輸出製品であるIT製品の出荷額に占める中国のシェアは10%程度である(最終出荷地、完成品ベース)。中国向けだけで、約7割のシェアをしめる欧米経済の落ち込みをカバーすることは容易ではない。しかも、農村からの出稼ぎ労働者2,300万人が職を失い、帰郷しているなど、中国の農村も今般の世界同時不況と中国の不動産市況悪化の影響を受けている。
これらから判断して、台湾の景気回復のスピードは、基調として緩やかなものにならざるを得ないと考えられる。しかも、世界経済が再度底割れを起こすリスクも消え去ってはいない。例えば、米国の雇用に甚大な影響を与えるビッグスリーの経営破綻(はたん)、中東欧諸国のデフォルトといったリスクである。
これらの懸念が払拭されるまでは、顧客の調達行動は不安定なものになりやすく、繁忙の波が激しくなる可能性がある。上述したように、足下急激な受注増(「急単」)が起こっているが、不安定な市場環境の下で、一時的に受注が増えているという可能性がある。企業にとっては、受注の激しい振れのなかで、在庫管理、人員配置計画をどのように行うかに腐心しなければならない状況が続く恐れがあろう。
新興産業・人材の育成がカギ
一方、台湾当局は、本格的な春を迎えたときに、多くのツバメが台湾に飛来し、多くのヒナを巣立たせられるような環境整備によりいっそう尽力する必要があろう。対中経済交流の拡大策もその一環に位置付けられようが、新興産業や人材の育成のための試みこそが、新たな台湾の巣立ちにとって必要である。
馬英九総統は今年5月までに新興産業の育成戦略を行政院に提出するよう求めている。また、ハイテク産業の育成にかかわる「産業高度化促進条例」の改正作業も進められている。各種人材育成計画についても、本格的な運用が始まる(例えば「09~12年促進就業方案」など)。こうした試みの中から、台湾が以前よりもレベルを増した「孵卵器(インキュベーションセンター)」に発展することを期待したい。
みずほ総合研究所 アジア調査部主任研究員 伊藤信悟