第7回 反原発運動、林義雄氏の重い存在感


ニュース 社会 作成日:2014年5月2日

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第7回 反原発運動、林義雄氏の重い存在感

記事番号:T00050077

 第4原子力発電所(新北市貢寮区)の建設反対を訴えて4月22日からハンガーストライキを行っていた元民進党主席(2006年離党)の林義雄氏(72)が30日、ハンストの中止を宣言した。馬英九政権が住民投票を実施するまでは第4原発の建設を凍結する方針を発表したためで、今後は成立条件の緩和を含めた住民投票法の改正などを求めて、引き続き抗争に力を入れていく考えを示した。今回は台湾の反原発運動の最高指導者である林義雄氏について取り上げる。


ハンスト中、宜蘭県での母と娘たちの墓参から台北に戻った林義雄氏。ハンストはかつて家族が殺害された自宅跡に建てられた教会で行った(中央社)

母と娘3人が殺害

 林氏は台湾の民主化と反原発運動に苦難の人生を捧げてきた人物として知られている。

 林氏のイメージを決定付けているのは、228事件から33年目を迎えた1980年2月28日、台北市信義区の自宅で、母親と双子で7歳の次女と三女が何者かによって惨殺された「林宅血案」と呼ばれる事件だ。林氏は前年12月に高雄市で起きた民主化運動弾圧事件である美麗島事件で、デモや集会に直接関わらなかったものの、反体制雑誌『美麗島』の主要メンバーだったため反乱罪で起訴され、新店軍事監獄に収監されていた。

 そしてこの日、妻が林氏に面会に訪れていた間に賊が自宅に侵入し、母親は刃物で胸など14カ所を刺され、双子の少女は背中から胸を一突きにされ殺害された。長女も6カ所を刺されて重傷を負った。独裁体制下の国民党が反体制勢力への見せしめとして実行したと言われているが、犯人がつかまらなかったため真相は分かっていない。白色テロが横行した1950年代以降の台湾では、反体制派に対する暴力的な締め付けは珍しくなかったが、林氏の事件は最も悲劇的なケースとして知られる。

 事件を受けて林氏は一度は釈放されたものの、2カ月後に再び収監された。このとき人生に絶望し、21日間に及ぶ絶食を行っている。死を以って独裁体制に抗議するつもりだったが、友人らの説得に応じて21日目にようやく食べ物を口にした。長女はけがから回復し、妻とともにその後林氏が生きる原動力となった。

「人の少ない道を歩む」

 林氏は軍事裁判で懲役12年の判決を受けたが、84年8月に仮釈放で出獄する。その後米国や日本への留学を経て89年に台湾に戻り、「台湾共和国基本法草案」「心的錘煉:浅談非武力抗争」の2冊の本を出版して政治活動を再開した。

 94年6月、第4原発の建設予算が立法院を通過し、建設に向けて事実上の青信号が灯ると、林氏は建設の可否は住民投票によって決めるべきと主張して「核四公投促進会」を組織した。住民投票は当時の民主化途上の台湾では新しい概念で、台湾住民に台湾の将来を決める主権者としての意識を持たせることも目的としていた。また、反原発の理念を広めるべく、9月には支持者と共に35日間で台湾を徒歩で一周する「千里苦行」を敢行する。これは台湾の反原発運動の先駆けとなった。

 98年7月には民進党主席に就任。2000年の総統選で陳水扁氏の当選に尽力し、政治家としてのキャリアのピークを迎えた。しかし、林氏が理想主義者としての面目を発揮するのはここからで、打診を受けた総統府資政への就任を断り、5月には民進党主席の再任を辞退、「人の少ない道を歩む」と表明して、党に提言を行う立場の首席顧問に退いた。

 陳前総統は、政権の初代行政院長の唐飛氏(元国防部長、国民党)が第4原発問題をめぐる意見対立から辞任した同年10月、林氏に行政院長就任を要請するも固辞されたことを後に明らかにしている。

 2001年2月、陳政権が前年10月に打ち出した第4原発建設中止の撤回に追い込まれると、林氏は党の基本理念に背くとして首席顧問を辞任。陳政権で汚職が相次いだ2期目の06年には、政権運営への不満からついに民進党から離党するに至った。

立法院定数半減の決め手に

 林氏は権力やポスト、金銭には一切執着せず、理想を追い求める運動家としての人生を選んだ。台湾政界では稀有な存在で、過去の悲劇のイメージを背負っているため、仮にハンストで亡くなりでもしたら馬政権への批判が高まることは目に見えていた。馬政権は今回、第4原発問題で最大限と言える譲歩を行っており、ヒマワリ学生運動に続く社会的混乱を最小限に抑えることが狙いとみられるが、馬総統自らが林氏のハンスト現場に訪れたように、林氏の抗議行動も大きな判断要素だったことは間違いない。

 林氏には、過去にもハンストによって政策決定を動かした実績がある。04年5月、立法院の議員定数の当時の250議席から113議席への半減実施を求めて立法院前で座り込みを行った。立法院の定数半減は、民進党が01年の立法委員選挙で公約としていたが、いざ実行となると既得権益の喪失を恐れる立法委員らの抵抗があり、同党はその後「150議席」へと削減幅を減らす方針を打ち出していた。しかし、当時の世論は激しい与野党対立が繰り返される立法院に批判的で、林氏が座り込みを行ったことが決め手となって04年末、定数半減の憲法改正案が可決された。

環境か経済の選択

 しかし現在では、立法委員の数が減って多くの委員会が撤廃・縮小され、立法機能が低下したことや、小選挙区比例代表制の導入によって多様な民意が反映されなくなったなどの弊害が指摘されている。異論もあった中であえて定数半減に踏み切ったのは、「悲劇を背負った私心のない人格者」である林氏の存在があまりにも重かったからだ。

 第4原発問題では、当時と同じことが繰り返される恐れはないだろうか。台湾にとって第4原発を稼働させるか否かは環境を取るか経済を取るかの重い選択となる。国土が狭いため原発事故が起きれば取り返しのつかない打撃を受ける一方、経済的実力が衰退すれば中台関係の現状維持すらも厳しくなる現実が台湾海峡に横たわっている。多くの住民が参加しての、深く掘り下げた議論が必要だ。

 こうした中、林氏が生命を懸けて反対するのは、理念は理解できるが、議論の幅を狭めることにつながってしまわないだろうか。特に民進党は、今年11月の統一地方選挙で第4原発の建設中止を公約とすることを決めたが、仮に16年の総統選で再度の政権交代が実現した場合、責任ある立場で脱原発を貫徹できるのか。林氏の理念は理念として、仮にそれを選択するにしても、代替エネルギー案など現実的見地に立った構想が出てくることを期待したい。 

ワイズニュース編集長 吉川直矢

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