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第10回 天安門広場と中正紀念堂の25年


ニュース 社会 作成日:2014年6月13日_記事番号:T00050906

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第10回 天安門広場と中正紀念堂の25年

 先週6月4日は1989年の天安門事件から丸25年の節目だった。台北市の中正紀念堂では午後7時から事件の犠牲者を悼み、中国政府に名誉回復や真相究明を求める集会が開かれ、学生や市民団体関係者など約3,000人が参加した。「自分の国は自分で救う」などのスローガンをプリントした黒いTシャツを身に付けた若者が多く、ヒマワリ学生運動に参加していたことが一目で分かった。集会では当時天安門広場で学生運動を指揮したウアルカイシ氏をはじめとした関係者が演説を行ったが、対中協調路線の馬英九総統を批判する台湾の運動家もいて、参加者らと非難スローガンを唱和した。追悼集会はそうしたイデオロギーとしての反中的な色彩を持っていた。


集会には大きな天安門の絵が登場。中国の民主運動家らは台湾に引き続き支援してくれるよう訴えた(YSN)

 事件が起きた89年6月4日の中正紀念堂には、この日よりもはるかに多くの学生や一般市民が集まり、白地に黒字の抗議の横断幕が目立っていた。中華圏では葬儀のことを「白事」といい、白は死者を悼む色だ。当時の台湾は既に李登輝総統の時代に入っていたが、まだ台湾化政策が推進される前で、「自分は中国人でもあり、台湾人でもある」と考える人が今よりもずっと多かった。「大陸の同胞に連帯感を示すために」中正紀念堂に来たという人は少なくなかった。中正紀念堂の壁にはまだ「三民主義統一中国」の文字が踊っていた。


89年6月4日の中正紀念堂。「血脈五千年」など同じ民族としてのシンパシーを訴える横断幕が見える(YSN)

 筆者は当時、大学を休学して台北に語学留学中で、初めて台湾の地を踏んでまだ1カ月もたたない時期だった。25年前と同様に今回の集会を訪れ、天安門事件の時にまだ生まれていなかった若い学生たちが主役になっているのを見て、一世代分の歳月が流れたことを実感した。

香港とは温度差

 25年前の学生たちは中国政府への抗議の意思を示すため、人民解放軍の戒厳部隊によって押し倒された「民主の女神像」の小型版を3日3晩で制作して中正紀念堂の広場に建てた。高雄など地方でも抗議活動が巻き起こった。当時はポップス全盛期で、一線の人気歌手たちが集まり虐殺に抗議する「歴史的傷口」(https://www.youtube.com/watch?v=F8lWiWaSTtg)という曲を制作して歌った。この曲は一気に広まり、テレビからも街中からもひっきりなしに流れていた。天安門事件当時の台湾と言えば、まずこの曲が思い出される。

 しかし、抗議の風潮は長くは続かず、7月に入るころには「歴史的傷口」のメロディーも聞かれなくなった。虐殺に憤りを感じるのは当然ながら、一方でどこか人ごとのような雰囲気も感じられた。25年後の今もそうだが、当時も社会全体で強い怒りを表明するという空気ではなかった。

 80年代末、中国はまだ経済発展の前で国際社会での地位は今よりも低かった一方、台湾はアジアNIESの旗手として活気に満ちあふれていた。中台は対立しており、交流は国共内戦に敗れて台湾にやってきた老兵たちの大陸里帰りが2年前に始まった程度で、一般市民は日常生活においてほとんど中国を意識することはなかった。中国の脅威に対する危機感は、97年の返還が決定し、「人民解放軍の戦車が乗り込んでくるのではないか」と恐れた香港とは質が異なっていた。

 ちなみに今年香港では、18万人がビクトリアパークを埋め尽くしての抗議集会が開かれている。翌日の台湾メディアは、香港の模様を中正紀念堂の集会よりも大きく取り上げた。

民主化モデル完成させた台湾

 天安門事件直後、共産党統治に対する中国専門家の見方は、厳しい試練にさらされて民主化推進を余儀なくされるというものが大半だった。共産党政権は21世紀まで持たないという分析もあった。民主化を抑圧しつつ25年後も一党支配を継続しているとは、誰が予測し得ただろうか。

 民主化の面で台湾はこの25年、中国に大差を付けた。中国はいまだ市長はおろかその下の県や郷鎮の議員すら自由には選べず、かつ共産党書記が地方行政を牛耳る一方、台湾は総統から里長(町内会長に相当)まですべて直接選挙で選ぶ体制を完成させた。この結果、中国に対する民主化モデルとしての位置付けが盤石なものになったと言える。天安門の学生運動リーダーを、ウアルカイシ氏のみならず、王丹氏も清華大学客員教授として受け入れているのも象徴的だ。

 それにしても、中国の若者が25年前と全く同じ主張をしなければならない現実は残念でならない。今から25年後の2039年6月4日、中台関係がどのように変化していようが、中正紀念堂では事件50年を記念する集会が開かれることだろう。その時、中国の民主化はどの程度進展しているのだろうか。中国政府に対する民主化要求が、今と全く同じでないことを願いたい。25年後、筆者は70歳を超えているが、その日どのような言葉が語られるかを聞きにまた集会に足を運びたいと考えている。

ワイズニュース編集長 吉川直矢

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