第51回 日本統治時代の建築物、復活ブームの背景


ニュース 社会 2016年4月8日

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第51回 日本統治時代の建築物、復活ブームの背景

記事番号:T00063438

 1カ月ほど前、台中市でリニューアルオープンしたばかりの「台中市役所」を見学した。「市役所」は日本語で、台湾では通常「市政府」が使われるが、この建物は日本統治時代の1911年に当時の台中州所属の台中市役所として建設されたため、昔の名前で復活した。丸屋根を抱いた白い辰野式バロック建築は、日本時代の建築物特有の優雅な雰囲気を醸し出している。こうした建物の多くに見られるようにレトロさが売りで、館内の喫茶店には「昭和沙龍(サロン)」という名前が付けられていた。天井から下がるちょうちんには、1921年に制定され現在まで使われている台中市章がデザインされており、日本時代からの歴史のつながりを意識させる。ちなみに、日本時代の市章を使い続けているのは台湾でも台中市だけということだ。

/date/2016/04/08/20news1_2.jpg台中市役所。館内では戦後の台中市の写真展示も行われている(YSN)

台中神社の鳥居も復活へ

 台中市役所のように、ここ数年、日本時代の建築物を再建する動きが各地で相次いでいる。台南市では3月下旬、1912年から建設された「台南水道」の第2期水源地の修復工事が始まった。現地のレンガづくりの建物を改修して「水道博物館」とする計画で、「台湾水道の父」と呼ばれ台南水道の建設に携わった浜野弥四郎技師の業績を広く知らせたいという意図がある。

 雲林県土庫鎮では昨年10月、1934年に建てられた「土庫庄役場」の修復工事が完了し、文化・芸術の発信拠点、特産品の販売拠点として利用されている。日本時代の南部初のデパート「ハヤシ百貨」は14年6月、台南市で「林百貨」としてよみがえった。台中市は昨年、日本時代の旧台中神社の大鳥居を再建する計画を発表した。日本時代の古跡復活はまるでブームのようだ。

「歴史を取り戻す」

 植民地統治を受けた国・地域が、かつての旧宗主国の建築物を次々と再建することは珍しく、世界でも恐らく台湾だけで見られる現象だろう。台湾でも「なぜ植民地統治を肯定するのか」という批判も一部にあるようだが、著名な歴史学者である李筱峰・台北教育大学教授は「それとは全く異なる」と指摘する。

/date/2016/04/08/20news2_2.jpg李筱峰教授。台湾派の論客として自由時報でコラムを連載している(YSN)

 李教授によると、日本時代の古跡再建は、民主の深化と社会の多元化を下敷きに進められている。社会の多元化によって権威主義統治時代の大中華主義に基づいた歴史観が崩れ、台湾とその地域の歴史に関心が持たれるようになった。その流れの中で、日本時代が台湾人自身の歴史として顧みられるようになり、建物の復活はいわば「自分たちの歴史を取り戻すこと」に当たるという。

あらゆる時代が対象

 李教授は、清朝時代の遺跡である台北駅近くの北門の景観復活や、総統府前の道路に原住民族名(凱達格蘭大道)が付けられたこと、考古学博物館である新北市八里区の十三行博物館などを挙げて、台湾の歴史を知る知的関心は日本時代に限らず、あらゆる時代が対象になっていると説明した。ただ、日本時代は統治実績に一定の評価があること、当時の建築物は美的感覚に優れていること、台湾の対日感情が良好なことから、日本時代の建築物は特に好まれるそうだ。

 韓国はかつて1990年代、「歴史の立て直し」を推し進め、日本統治時代の残滓として旧総督府を破壊した。韓国人にとって儒教的秩序で弟に当たる日本に統治を受けたことはアイデンティティーへの打撃になるため、その名残りを払拭することこそが「正しい歴史を取り戻す」ことなのだろう。一方、台湾がそうした発想に立ち得ないのは、スペイン、オランダに始まって日本、中華民国に至るまですべて外来者に統治された歴史であり、「被統治であってもすなわち台湾の歴史」となるためだ。

 日本時代を知ることは、国民党による権威主義時代に否定されていた祖父の時代の歴史を取り戻すことでもある。かつて公的にはマイナス評価一色だったがゆえに、より公正に、深く正しく認識したいというベクトルが働いているはずだ。最近の日本時代の古跡復活はこうした思いが背景になっており、高まる台湾人意識が生んだ、台湾史へのかつてないほどの強い関心の反映ではないかと考えている。

吉川直矢

吉川直矢

ワイズメディア

東京外国語大学中国語学科卒。大手放送局記者、海外経済情報メディアでの編集長職を経て、07年Y'sニュース創刊に参加、以来編集長を務める。専門分野は台湾政治。

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