ニュース

記事番号:T00064767
2016年6月17日15:55

 3月下旬の日曜日、蒋介石元総統夫妻の邸宅だった台北市の士林官邸を妻と訪れた。広大な庭園でさまざまな植物を鑑賞でき、場所柄、中国人観光客も大勢やって来る。

/date/2016/06/17/20news_2.jpg日月潭の中国人観光客。旅行先すら国家が決めることにも台湾人は違和感を抱いている(中央社)

 そこで不快な出来事があった。蘭の展示が行われていた温室でカメラを向けていた妻に、中国人観光客の中年夫婦が「自分たちの写真に写るからそこをどいて」と言ってきた。周囲の雑踏でその声がよく聞こえず動かずにいると、彼らはさらに声高にきつい口調でどくように怒鳴り始めた。その剣幕に驚いて場所を譲ると、彼らはポーズを決めて1枚撮り、足早に場所を変え、またそこかしこで同じことを繰り返していた。まるで自分たちを最優先させるのが当然と言わんばかりだった。中国人観光客の受け入れ開放から8年、台湾各地で毎日のように同じような光景が繰り返されてきたと思われる。

観光業者に同情なし

 蔡英文政権への交代が決まって以降、台北市内の観光スポットでは中国人観光客を目にする機会は明らかに減った。今後夏休みの7~8月には中国人の訪台観光ツアーはさらに大きく減少し、自由旅行客も減ると報道されている。中国寄りの中国時報などのメディアは「ホテルが休業した」「観光バス会社が損失で悲鳴」といった影響を相次いで伝え、危機感をあおっている。

 ところが、インターネットでの台湾市民の反応はほぼ歓迎一色だ。関連ニュースへのコメントは「よかった。もう1人も来なくていい」、「やっときれいな阿里山や日月潭に行ける」、「中国人観光客は増える方がよほど迷惑だ」といったものが続々と並ぶ。

 観光業者の苦境を報じるニュースに対しては「厳しいときに知恵を絞るのがビジネスだ」、「中国人観光客以外の収入源を見つけるべきだ」、「そもそも2008年以前は中国人観光客はいなかったではないか」といった反応が目立つ。中国が期待するであろう「民進党政権では経済がだめになる」、「1992年の共通認識(92共識)こそが台湾経済の安定の土台だ」というようなコメントは全くと言っていいほどお目にかかれない。

 こうしたネット世論から、中国人観光客の振る舞いが台湾市民にいかに嫌悪感を与えてきたかが分かる。中国が観光客のさらなる削減を実行したとしても、台湾社会はそれを淡々と受け入れるだろう。先週の端午節の4連休、高雄や墾丁の大手ホテルは台湾人客や東南アジアからの宿泊客で満室が相次ぎ、中国人客減少の影響はほとんどなかったという。こうなると効果も疑問で、中国による観光客を使った蔡政権への揺さぶりは失敗に終わる可能性が高いようだ。

蔡政権への対応再考の契機に

 そうなれば、中国は何を学ぶだろうか。中台経済が緊密化した今、執拗(しつよう)に台湾経済に打撃を与えようとすれば中国にも影響が跳ね返り、何よりも台湾市民の反感が高まるためマイナス効果が大きいだろう。

 公的交流はいったん遮断したものの、中国の蔡政権の台湾への対応は慎重さが見え隠れする。中国人民政治協商会議全国委員会(全国政協)の兪正声主席は今週12日、アモイでの「第8回海峡論壇(中台フォーラム)」で、「両岸(中台)関係の平和と安定のために、民衆の交流を引き続き拡大し、深めていく必要がある」と発言。翌13日には、福建省党委員会の陳冬常務委員が、沿岸の平潭島を中台共同で観光島にしたいと語った。「92共識」「一つの中国」を認めない蔡政権は無視する一方、台湾の民衆とは交流を継続する方針を明示したのだ。ただ、統治者と人民を分けて考えるのは共産党の伝統的な手法だが、その民衆が選んだ政権は相手にしないというのは論理的に無理がある。

 過去10年の中台関係を支えた「国共プラットフォーム」は台湾の政権交代によって終わりを迎え、双方の関係は新たな局面に入った。訪台中国人観光客の削減作戦は、失敗することによって、中国に蔡政権への向き合い方を真剣に考え直す契機になる可能性があると筆者は考えている。

吉川直矢

吉川直矢

ワイズメディア

東京外国語大学中国語学科卒。大手放送局記者、海外経済情報メディアでの編集長職を経て、07年Y'sニュース創刊に参加、以来編集長を務める。専門分野は台湾政治。
ニュース記事検索