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第107回 浩鼎事件にみる台湾バイオメディカル産業の発展の構図


ニュース その他分野 作成日:2016年4月12日_記事番号:T00063499

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第107回 浩鼎事件にみる台湾バイオメディカル産業の発展の構図

事件の波紋

 台湾医薬業界の期待の星・台湾浩鼎(OBIファーマ)のインサイダー取引疑惑が波紋を広げている。同社は2月末に、開発中の乳がん治療ワクチンの臨床試験について、統計学的に有意な結果が得られなかったと発表した。その直後のメディアの関心は、同社の株価急落や、この抗がん剤の中心的な開発者であり、浩鼎の親会社の設立にも関わった翁啓恵中央研究院(中研院)院長の、「科学的見地から見れば、この臨床試験ではむしろ良い結果が得られた」という発言の意味などに集中していた。ところが、3月下旬になって、翁の娘が同社の株式を多数保有していたこと、臨床試験結果の発表の前に株式の一部を売却していたことが明るみに出たことで事態は急展開した。

 翁は、ノーベル賞の有力候補者とされる台湾の代表的な科学者であり、台湾の医薬産業育成政策の立役者の一人でもある。今回のスキャンダルを受け、氏は中研院院長を辞する意思を表明した。蔡英文新政権は、5大イノベーション計画の一つにも掲げたバイオメディカル産業の育成に力を入れる考えだが、今回の事件はその船出に水を差すものとなった。

ベンチャーブームをもたらしたもの

 創薬を含むバイオメディカル産業は、長い時間と多額の資金を要し、リスクの高いサイエンス型産業であるため、台湾の不得手な分野だとみられがちだ。だが、ここ数年は新薬の有望ベンチャー企業が着実に育ちつつある。その背景には、政府による積極的な産業育成政策、株式市場での医薬ベンチャーブーム、欧米帰りの優秀な人材の存在などがある。

 台湾では90年代からバイオ産業の育成が図られてきたが、民進党政権期の2000年代半ばに、行政院国家発展基金を通じてバイオ産業への投資を積極化した。07年には、蔡英文行政院副院長(当時)、王金平立法院院長、翁啓恵中研院院長らの尽力により「バイオテクノロジー・新薬産業発展条例」が成立し、投資優遇策が制度化されて、同産業への投資を大きく後押しした。11年頃からは、資本市場でもバイオメディカル・ブームが起き、新薬、医療関連メーカーの株価が大きく上昇した。折からエレクトロニクス産業の成長が曲がり角にさしかかったこともあって、この新興セクターに資金が流れ込むようになり、一大ブームが生じたのである。 

 こうした追い風を受けて、創薬企業の立ち上げに踏み切った起業家の中には、欧米帰りの人材が多い。その代表格が、浩鼎会長の張念慈と、中裕新薬(タイメッド)執行長の張念原の兄弟である。

 兄の張念慈は、米国で90年代半ばに健康食品メーカーを創業して大きな成功を収めた後、99年に数十年来の友人である翁啓恵とともに新薬メーカーOptimerを創業し、ナスダック上場に成功した。その後、翁と張は相次いで台湾に戻り、Optimerの子会社として台湾浩鼎を設立した。

 他方、弟の張念原は、大手製薬メーカーのアラガン社で、美容整形業界で有名なボトックスの事業化の立役者として活躍した後、中裕新薬の最高経営責任者(CEO)となった。同社は、台湾出身の在米科学者で、エイズ研究の国際的な権威である何大一博士の技術に基づき、エイズ治療薬を開発中であり、台湾の新薬業界の期待の星の一つである。

宇昌案スキャンダルとの人的重なり

 実はこの中裕新薬の前身は、12年の総統選の時に蔡英文を襲った政治スキャンダル「宇昌案」の震源地となった宇昌生技である。蔡は行政院副院長だった時期に、バイオメディカル産業の重要性を強く認識し、投資環境の整備に尽力した。政権交代により下野した後は、宇昌生技の会長となって資金集めに尽力し、蔡家も同社に出資した。民進党主席となったのを機に、蔡は同社の経営・出資から退いたが、総統選の中で、国民党陣営は蔡と宇昌生技の関わりの中で汚職があったとして、「宇昌案」を激しい攻撃の材料とした。蔡にかけられた嫌疑は後に晴れたが、この事件は、蔡および台湾のバイオメディカル産業に打撃を与えた。

 実は「宇昌案」スキャンダルで名前が上がった人物と、今回の浩鼎をめぐる一連の報道の中でクローズアップされた人物は、かなり重複している。翁啓恵は宇昌生技の成立に重要な役割を果たした人物でもあった。宇昌生技には蔡英文の家族が多額の出資をしたが、今回の浩鼎をめぐる一連の報道の中でも、蔡英文の兄が浩鼎の大株主であったことが明らかになった。浩鼎と宇昌生技(現・中裕新薬)のCEOが兄弟であることは前述のとおりだ。

 台湾のバイオメディカル産業が、少数の政治家、科学者、企業家や投資家の力で立ち上がったこと、その過程で企業を超えた人的ネットワークが生成してきたことが見て取れる。

求められる説明責任と清廉性

 バイオ産業は、ハイリスク・ハイリターンであり、政策的な優遇措置へのアクセスや治験結果といった情報へのアクセスが大きな利益に結び付きやすい特性を持つ。それだけに、疑惑やスキャンダルを生み出しやすい。浩鼎の株主として、翁院長の娘や蔡英文の兄の名前が取りざたされたことは、このセクターが持つ生臭いイメージを再び喚起することともなった。

 世界の医薬品市場の伸びが見込まれる中、蔡英文新政権は、過去10数年来の育成策の上に、創薬を含むバイオメディカル産業の育成に引き続き力をいれていく方針だ。この政策が社会の理解を得るためには、政権関係者、政策に関わる科学者たちの清廉さと、疑惑が提起されたら正々堂々と答えることのできるアカウンタビリティーの高さが求められる。

川上桃子

川上桃子

ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター次長

91年、東京大学経済学部卒業、同年アジア経済研究所入所。経済学博士(東京大学)。95〜97年、12〜13年に台北、13〜14年に米国で在外研究。専門は台湾を中心とする東アジアの産業・企業。現在は台湾電子産業、中台間の政治経済関係、シリコンバレーのアジア人企業家の歴史等に関心を持っている。主要著作に『圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会 12年(第29回大平正芳記念賞受賞)他多数。

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