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第142回 スタートアップ・ブームに期待されるもの


ニュース その他分野 作成日:2019年3月12日_記事番号:T00082407

台湾経済 潮流を読む

第142回 スタートアップ・ブームに期待されるもの

ブームと若年層支援

 近年、スタートアップが、世界的に脚光を浴びている。スタートアップとは、新たなビジネスモデルや技術を通じて、それまで市場に存在しなかった商品やサービスを生み出す組織を指す。急激な成長を遂げる可能性を秘めていることも、その要件だ。アジアでは、シンガポールが東南アジアの若い起業家たちのハブとなっているほか、深圳や北京、杭州といった中国の都市からも多数のスタートアップが生まれている。

 スタートアップは、従来の市場秩序に挑戦する事業モデルや、既存の企業からは出てこない斬新なアイデアを核とする。そのため、起業や経営の中心となるのは、多くの場合、20代から30代の世代だ。台湾をはじめ、多くの国の政府やメディアがスタートアップに熱い視線を注いでいるのは、これが新たなイノベーションの担い手であることに加えて、若年層の雇用問題の解決策の一つとして期待が寄せられているからである。特に台湾の場合、「ヒマワリ学生運動」を機に若者の経済問題が政治イシューとして注目を集めるようになったことから、国民党、民進党政権を問わず、スタートアップへの支援が政治的に重視されている。

 台湾では、2012年に国家科学委員会(現在の科技部)の肝いりで始まったFITIプログラム(創新創業激励計画)が、大学の研究成果を基にしたハイテク系のスタートアップを数多く生み出し、スタートアップブームの重要なきっかけとなった。シリコンバレーをモデルにしたアクセラレータの設立や、各種の起業コンペ、大学での起業教育の広がりも、この動きを後押しした。馬英九政権の最後の約1年には、「ヒマワリ学生運動」の衝撃の下、政府を挙げて若者の起業支援策が打ち出された。蔡英文政権になってからも、LEAPプログラム(博士創新之星計画)などを通じて、起業家の卵たちをシリコンバレーなどの世界のスタートアップ・コミュニティーに送り出し、育成する政策が続いている。

現実的とは言い難い期待

 とはいえ、スタートアップの世界は、厳しい「多産多死」の世界だ。スタートアップの特徴とされる爆発的な成長を遂げることができるのは、ごく一握りの成功例にすぎない。失敗を許容する文化が根付いていない東アジアの組織風土と、シリコンバレー型のスタートアップの企業モデルは、相性が良いとは言えない。

 また、筆者は最近、台湾の大学で起業教育に携わっている教員たちや、スタートアップ支援に関わっている実務家たちに話を聞く機会があったが、スタートアップの育成を、若年層の経済問題の解決策と結び付ける発想は適切ではないという声が聞かれた。確かに、「就職が見つからない若者がスタートアップを起業する」という想定にはいろいろな点で無理がある。米国の実態を見ても、スタートアップに雇用創出力を期待するのは現実的ではない。また、台湾はまだそのような心配をする段階にはないが、「本家」であるシリコンバレーでは、スタートアップ・ブームの負の側面として社会的格差の広がりが指摘されている。

海外とのリンケージ効果に期待

 それでもなお、台湾にとって、スタートアップの育成と振興は意義のある取り組みである。「まずは起業してみる」「市場に出して反応を探ってみる」といったスタートアップの持つフットワークの軽さは、エレクトロニクス産業の受託生産や部品ビジネスといった既存の成熟セクターに代わる発展のエンジンを模索する台湾が必要とするさまざまな試行錯誤を可能にする可能性を秘めているからだ。

 スタートアップへの支援はまた、2000年代以降、弱まってきた台湾のグローバルな人的リンケージを再活性化することにもつながる。若い理工系エリートたちがスタートアップへの関心を強めるに従い、渡米留学生の数の減少とともに薄れてきたシリコンバレーとのつながりが再び強まりつつある。

 また、スタートアップ・コミュニティーは、米国だけではなく、欧州やアジア各地にも広がっている。これらのコミュニティー間での人的なつながりや横の交流、協業も盛んになっている。LEAPプログラムでも、米国だけではなく、欧州やシンガポール、イスラエルなどといった先進的なスタートアップ・コミュニティーとの人的なつながりを創り出すことに力を入れている。

 スタートアップという組織には、既存の市場や企業の在り方を変えていく力がある。それが万能薬であるはずもなく、若い世代の雇用問題への処方箋として過度の期待を寄せるのも現実的ではないが、世界に広がるスタートアップブームの波は、台湾にも新たな変化のきっかけももたらしてくれるのかもしれない。

川上桃子

川上桃子

ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター次長

91年、東京大学経済学部卒業、同年アジア経済研究所入所。経済学博士(東京大学)。95〜97年、12〜13年に台北、13〜14年に米国で在外研究。専門は台湾を中心とする東アジアの産業・企業。現在は台湾電子産業、中台間の政治経済関係、シリコンバレーのアジア人企業家の歴史等に関心を持っている。主要著作に『圧縮された産業発展 台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』名古屋大学出版会 12年(第29回大平正芳記念賞受賞)他多数。

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