戦略手段としての観光客

　中国・文化旅遊部は、今（８）月１日から、訪台中国人観光客の56％（2018年）を占める個人旅行者への許可証発給を暫時停止した。団体ツアーも９月から削減されると報じられている。一部のチャーター便が運航中止になるなど、影響は既に広がり始めている。

　中国は自国民の海外旅行を厳しく管理するとともに、観光客の送り出しを外交戦略の重要な手段とする政策を採ってきた。台湾に対しては08年６月、成立直後の馬英九政権に花を持たせる格好で台湾への団体ツアー観光を開放し、12年からは個人旅行も解禁した。訪台中国人旅行者の数はピークだった15年には418万人にまで増え、観光客数全体の約４割に達した。中でも、それまで海外からの観光客が少なかった東部や南部では中国からの観光客特需が大きなインパクトを持った。

　中国によるこのような政策は「観光を通じた統一工作」とも呼ばれている。台湾の対中経済依存度を深め、経済的利益の操作を通じた政治的影響力行使の可能性を高めることにその目的があるからだ。16年の総統・立法委員選挙において民進党が勝利を収めると、中国は観光客を大幅に削減し、18年の来台人数は270万人と15年から35％も減少した。台湾への観光客の送り出しが、中国による経済を通じた台湾への影響力行使策の一環であることを痛感させた出来事だった。

圧力行使が継続か

　こうした経緯もあって、来年１月の総統・立法委員選挙が近づくにつれ、中国が台湾に対して観光客削減を含むさまざまなプレッシャーをかけてくることは予想されてはいた。

　しかし、今回の個人旅行の停止措置は、以下のような理由から、台湾社会に波紋を広げることになった。第一に、選挙までまだ５カ月もあるタイミングで中国が経済的圧力を掛け始めたことだ。このことは、今後数カ月にわたって同じような圧力行使が続くであろうことを予感させるものだ。第二に、中国は従来、台湾向け観光客の削減理由を明示してこなかったが、今回は「現在の両岸（中台）関係に鑑みた措置」と明言した。従来よりも踏み込んで台湾の民意にプレッシャーをかけたといえる。第三に、今年の上半期になってようやく中国人観光客が前年同期の1.3倍に増え、持ち直しの兆候が見えてきたところだったため、観光業界にとって衝撃となっている。

最大の影響を受けるのは？

　観光業の冷え込みは、ホテル、バス、レストラン、土産物販売店などのさまざまなサービス業者に影響をもたらすとみられる。

　図では、交通部の「来台旅客消費および動向調査」を基に、日本人観光客と中国人観光客の平均的な消費パターンを比較した。中国人客、日本人客を問わず、買い物額も、１日当たりの消費額も14年から18年にかけて減少していることが分かる。中国については、景気減速や、海外で購入した商品に課す関税の引き上げの影響があるとみられる。

　一方、日本人と中国人を比較すると、18年の両者の１日当たりの支出額は210米ドル強とほぼ同じだが、中国人は買い物、日本人はホテルでの支出に大きなウエートを置いていることが分かる。中国人観光客は、安いホテルに泊まり、買い物にお金をかける傾向が顕著なのだ。さらに、この調査から、18年の団体ツアー客の買い物内容を見ると、日本人では「台湾の名産品」（食品が中心と思われる）が買い物額の６割（１位）を占めているのに対し、中国人では宝石・玉（32％）が最大の支出対象であった。

　このことから、今回の台湾旅行制限措置が、固定費用の大きなホテル業界と並んで、中国人観光客に大きく依存してきた宝石・さんご・玉などの販売店に大きな打撃となる可能性が考えられる。

　これらの店舗の多くは、香港系（実際には中国系である可能性も考えられる）の大手資本の傘下にあるとされる。「中国人観光客ビジネス」のサプライチェーンの複雑に入り組んだ構図を考えると、今回の旅行制限措置は、台湾の観光業・小売業関係者のみならず、香港や中国系の観光業資本にも跳ね返る可能性がある。

反発生む可能性も

　ただ、この「ビジネスを通じた統一工作」には、観光業と直接関わりを持たない人々を中心に、台湾人有権者の中国に対する反発を強め、中国の狙いとは逆の効果を生み出す可能性もある。観光客の送り出しというカードが長期的にどのような効果を生むのか注目される。