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第1回 M氏と岩井さん


コラム 経営 作成日:2016年10月21日

創業20周年記念特集 ワイズに経営を教えた方々

第1回 M氏と岩井さん

記事番号:T00067029

 おかげさまで弊社ワイズコンサルティングは今年11月14日に創業20周年を迎えることとなりました。1人で始めた会社が、現在ほとんどの在台日系企業にご利用いただくコンサルティングファームへと成長しました。創業者である吉本康志も、会社の成長とともに経営者としてのスキルを磨きました。今回の特集では、吉本に経営者としての考え方を教えて下さった方々をご紹介するとともに、ワイズの20年間の成長を振り返ります。(聞き手・ワイズコンサルティング 陳逸如)

陳:創業は29歳のときでしたが、なぜ起業を思い立ったのですか?

吉本:理由はいくつかあります。一つ目は、子供のときの夢はレーサーになることで、フェラーリが欲しかったのです。2つ目は、大学受験に失敗して、人生をリカバリーするには社長になるしかないと決めていたこと。20代で人の2倍働くことも決めていたのですが、人の会社のために2倍働くよりも、自分のために3倍働いた方が有意義と思っていました。あと、当時からアップルが好きだったので、自分で会社を作ってすべてマックのパソコンでそろえたかったのです(^_^;)(実際ワイズは全てのPCとスマートフォンがアップル製品です)。最後は、休みたいときに休めるようにしたいと思っていました(今でも実現できていませんが…)。

/date/2016/10/21/20wise1_2.jpg吉本(中、当時25歳)がタナベ経営の駐在員として台湾に来る前日の壮行会

 台湾に来たのは日本のコンサルティングファーム、タナベ経営の駐在員として派遣されたためで、当時「金儲けの神様」と呼ばれた邱永漢さんにインタビューしたことがあります。「サラリーマンでお金持ちになる方法はないか?」と尋ねたところ、「サラリーマンはお金持ちになりたくない人のやる仕事です」との答えが帰ってきました。それまで経験したことのないショックを受けたのを今でも鮮明に覚えています。

商社やモデル事務所がいいな

陳:起業といってもいろんな業種がありますが、なぜコンサルティングだったのですか?

吉本:当初はコンサルティング業をやる気はさらさらなかったのです。タナベ経営はとにかくノルマがきつく、コンサルティング業自体も超労働集約産業です。なので、他の業種の方が良いと思っていました。ただ、20年前の台湾は会社登記に多々制限があって、営業項目をあまり多く登録できなかったのです。コンサルティング業であればいろんなことができそうなので、とりあえず登記上はコンサルティング会社にしました。

 しかし、実際に最初に考えたビジネスは貿易でした。商社であれば、1回取引が決まれば後は自動的にお金が流れてくるので楽に稼げると思いました。ちょうどその時、台湾でPCを1万台調達する仕事を友人から紹介されました。さまざまな業者と接触しているうちに、お客の要望よりもはるかに低いコストで調達できることが分かりました。この仕事1件の受注だけで1億円稼げる計算だったので、やはり商社にしてよかったと思いました。しかしその後、友人から紹介された会社の発注者(常務)の不祥事が発覚するという思わぬ展開となり、この仕事は頓挫しました。

 その後、また別の友人からモデル事務所の話が来て、おじさんばっかりの業界よりも、毎日若い女性に囲まれる業界の方がいいなと思い、モデル事務所を経営するために日本へ研修に行きました。1週間の研修を終え、お世話になったモデル事務所の社長に六本木のバーに連れて行ってもらいました。

 その社長に「毎日美人たちに囲まれて、楽しい仕事ですね」と言ったら、「吉本くん、モデルは商品だから絶対に手を出しちゃダメよ」、「こういう仕事していると、美人に興味がなくなりますよ」と言われました。既に気持ちが半分冷めた私に社長は奥さまの写真を見せてくれたのですが、とても個性のあるお顔でした…。それは、私がモデル事務所を諦めた最大の理由でした(^◇^;)

コンサルティング業に決めた

陳:最終的にコンサルティング業に決めたのはなぜですか?

吉本:台湾で青年実業家M氏と出会ったことが決め手でした。M氏は起業家として憧れの存在で、彼のような人になりたいと思いました。起業の際はM氏の会社で机2台を借りて始めました。

 ある日、M氏と食事した際、重要な教えを受けました。まず、「経験したことのない業界は絶対にうまくいかない」。なぜかというと、その業界の人しか知らない落とし穴がいっぱいあるから。自分が詳しい業界の周辺のビジネスであればまだチャレンジしてもよいが、全く知らない業界だと、うまくいったためしがないと伝えられました。次に「起業家って血の小便が出て、初めて一人前となる」。吉本さんみたいに楽に稼ぎたい、モデル事務所が楽しそうでやりたい程度だと、スタートラインにすら立てないよと忠告されました。M氏の言葉によって、自分がよく知るコンサルティング業を選ぶことにやっと決心がつきました。

/date/2016/10/21/20wise2_2.jpg創業4年目の当時仁愛路にあったワイズ事務所。左側から当時の社員、吉本夫人、吉本

陳:コンサルティング業に決めてから、会社は順調に成長したのですか?

吉本:全然うまく行きませんでした。最初の3年間は給与が1台湾元ももらえない状態が続きました。当時は家内の実家に居候していましたが、帰宅すると、全く稼げない私のためにお義父さんがビールを買ってきてくれ、お義母さんが料理を作ってくれ、家内も息子も毎日ニコニコ接してくれました。皆が大きな期待をかけてくれるのは分かるけれども、それがプレッシャーに感じられて仕方なかったです。でも、その時、一つ分かったことがあります。中華圏では、人を応援したいときは「家族を挙げて全力でその人を支えていく」ことです。もしかしたら、それが華人が成功する秘訣ではないかと感じました。いつか私も人を支えられる立場になれるといいと思いました。

そうだ、過労死しよう!

 皆の厚い期待に頑張っても応えられない時期がやってきました。そこで私はいくつかの方法を考えました。アイデア1、逃げる。ただ、これは人間としてやってはいけないよなと思いました。アイデア2、転職する。ある程度の安定収入があれば、家族を養っていけます。アイデア3、そうだ、過労死しよう!と考え付きました。過労死するくらい働けば、周りが許してくれると思ったのです。毎日体力の限界まで働き、1日1~2時間しか寝ないことにしました。現在ワイズで使っている業績先行管理表、諸規則のひな形等は全てそのときに作ったものです。それまでも一生懸命に働いてはいましたが、過労死しようと決めたときから必死のギアが入りました。しばらくすると、ビジネスはやっと食べていけるようになっていました。

座右の銘「有志有途」

陳:ビジネスがうまくいかなかった時期に誰かに相談したりしませんでしたか?

吉本:タナベ経営の専務だった岩井さんにはお世話になりました。うまくいかないという話をしたら、「君は考えが足りないのよ」と諭され、「有志有途」という言葉をプレゼントされました。有志有途とは、志があれば道が開くという意味で、今でも座右の銘として肝に銘じています。

 岩井さんに教わったことはたくさんありますが、中に今でもワイズの経営に生かしているのはフロービジネスとストックビジネスの概念です。

 タナベ経営に務めていた当時、上司としての岩井さんはとても好きでした。いつも元気で有言実行し、コミットした目標は必ずその200%、300%を達成。タナベの秀吉とまで呼ばれていました。ただ、当時の私は正直、岩井さんみたいな元気の良さが売りのコンサルタントにはなりたくなかったです。それでも、自分がコンサルティング業を始めると、経営者に元気と勇気を与えることが究極のコンサルタントかもしれないと思えるようになりました。

 こうして振り返ってみると、1人で頑張ってきたと考えていたものの、結構多くの方に支えられてきたなと改めて思いました。

陳:最後に、社長にとって「起業」とは何でしょうか?

吉本:魂です。希望や夢くらいの思い込みでは浮き上がれないのです。魂の叫びみたいなもので、ここからやろうと思わないとうまくいきません。会社を創るのは簡単だけれども、発展させていくのが大変なのです。

~ワイズ創業20周年記念セミナー~
経営成功の秘訣と新たな経営形態のご提案

https://www.ys-consulting.com.tw/seminar/66842.html
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吉本康志

吉本康志

Executive Consultant

日本の大手コンサルティングファームの駐在員として台湾駐在、1996年11月にワイズコンサルティングを設立。経営者としてコンサルタントとして男としてもまだまだ成長中。

創業20周年記念特集 ワイズに経営を教えた方々

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