コラム

記事番号:T00069625
2017年3月22日15:33

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本コラム執筆の目的

 ゴルフはリカバリーショットが大切だと言われますが、経営も同様です。

 経営者としてリスクに備えるのは当然ですが、どれだけ備えていても想定外の危機は訪れるものです。

 本コラムでは私自身が自社で経験した失敗とそれをどう克服してきたのかを紹介し、少しでも皆さまの経営のご参考になれれば幸いです。

 

●1997年の状況

 わが社は1996年の11月に創業しました。

 当時のメンバーは家内と2人だけで、前職との関係で在台日系企業に3年間は営業活動ができない状況でした。

 そこで台湾企業の流通業のマーケティングに特化したコンサルティングとしてビジネスを始めました。

 当初は私が中国語で講演、家内が営業を担当し、資料は2人で徹夜しながら中国語に翻訳する状態が続いていました。

 そのころ、ある講演会で素晴らしい通訳を見つけ、その人を口説き、わが社に入社してもらうことになりました。

 彼の名は「蒋●明」といい、年齢は当時の私よりも2~3歳年上でした。

 風貌はちょっと汚らしいし、怪しい雰囲気でしたが、創業間もない明日をも知れぬ零細企業ですのでより好みはできません。

 給料は当時の私よりも高い額でしたが、有能な人材なので投資と考え払うことにしました。

 

●伝説のコンビ誕生

 私の予想通り、彼とのコラボレーションは最高でした。

 彼はもともと多くの日本ビジネス書の翻訳経験があり、日本のコンサルタントの通訳も数多く経験していましたので、言葉だけでなく、意味も含めた通訳ができます。

 私も中国語がある程度できるため、間違った通訳をされると、次の話ができなくなるのですが、彼の通訳ならスラスラと講演をすることができました。

 チェーンストア協会、中国生産力中心、百貨店協会、ショッピングセンター協会など、台湾の有名どころから講演依頼が殺到し、セミナー参加の企業から研修およびコンサルティングの依頼が増えてきました。

 1年後には台湾流通業界でベスト3に入るコンサルタントと呼ばれるようになったのでした。

 

●怪しい気配(今回の失敗)

 しかし蒋●明の怪しさは日に日に強まってゆきました。

 私の不在時にはパソコン内のデータをフロッピーディスク(懐かしい~;^_^A)にコピーしたり、テキストや企画書・報告書などを一生懸命コピーするようになっていました(現在のわが社では情報セキュリティー上、物理的にできませんが、当時は情報セキュリティーという概念が弱かったのです >_<)。

 また勤務中でも蒋●明の外出が多くなっていましたが「仕事は早いし優秀なので…」と目をつぶっていました。

 不思議だったのは結構な給料を払っているにもかかわらず、相変わらずいつも同じスーツで、フケが多く汚らしかったことです。

 そんなある日、蒋●明は突然辞めると言ってきました。

 当然引き留めましたが、本人の意志は固く、話し合いにすらなりません。

 彼が退職したその日に先述の各組織から「以前働いていた蒋さんが、吉本さんの提案書を持って半額でどうですか?と営業している」との連絡が入りました。

 やはり…と思いましたがコンサル業界ではよくあることなので仕方ありません。

 会社としてやっている私より、個人でやっている彼がローコストなのは当然です。

 それよりも各組織から「吉本さんも半額なら引き続き依頼するけどどうする?」と聞かれ「結構です」と断ってしまい、構築してきたビジネスモデルが崩壊したことが一番大きな痛手でした。

 

●その後…

 しばらくの間、蒋●明は私が講演依頼を受けてきた各組織から半額受注を続けていましたが、彼はコンサルティングができないので大きな収入にはなりません。

 コンサルの受注を焦り、セミナーで「A公司(台湾の大手財閥)のコンサルティングは私が行った」とうそを言ったのですが、そのセミナーにA公司の幹部が参加していたため、反論されて大混乱になりました。

 いくら台湾でも、うそをつき、セミナーをめちゃくちゃにする講師に依頼はなくなり、蒋●明は中国に活躍の場を移しました。

 風のうわさでは、その後中国のビジネスもうまくいかなくなり、現在行方を知っている人はいません。

 コンサル業界でコンサルタントがクライアントを持って独立するのは一般的ですが、それを見過ごしていたら、いつまでたってもビジネスは発展しません。

 これを機に「どうやったらコンサルタントが独立できない仕組みを構築できるか」を真剣に考えるようになりました。

 

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1.台湾人が営業すると不利になる仕組み

 顧客が台湾人では台湾人が営業した方が有利になります。

 これを機に顧客を台湾企業から在台日系企業に変更しました。

2.日本人でも独立が難しくなる仕組み

 マーケティング、営業、受注、コンサルの各プロセスの一部を担当させ、全プロセスをこなせるのは私一人だけにしました。

3.顧客の囲い込み

 労務顧問会員、ニュース会員と会員組織を作り、新規参入が難しくなるようにしました。

4.多くの資金や人材が必要な仕組み

 会社の拡大に合わせて、多くの資金や人材がいないと成り立たないビジネスモデルに進化させました。

 

●リカバリーの結果

 その後わが社の社員でコンサルタントとして独立した者はいません(リサーチャーとして独立した者は1人存在しますが、うまくいっていないようです)。

 現在では、もし私自身が独立して同業の会社を立ち上げたとしても今の規模になるまでは少なくとも10年以上かかる状態になりましたし、給与や福利厚生の水準が上がり、独立する必要のない会社になりました。

 

●今回の格言

「業界の常識」や「仕方ない」も知恵を使えば方法はきっと見つかる

〜情報漏えい、労働争議、与信、BCP…〜
経営者のリスクマネジメントのやり方
https://www.ys-consulting.com.tw/seminar/69441.html

吉本康志

吉本康志

Executive Consultant

日本の大手コンサルティングファームの駐在員として台湾駐在、1996年11月にワイズコンサルティングを設立。経営者としてコンサルタントとして男としてもまだまだ成長中。