記事番号:T00004767
Aコンサルからの依頼でコラボレーションによる、B財閥C百貨店D店の売り上げを1年後に20%UPさせるコンサルティングを行っていた。改装をしない約束をほごにしてAコンサルの前田氏の提案で3Fは大掛かりな改装を行なったが、売り上げの減少は過去最悪となってしまった…
●スパイ疑惑
この頃になると、経験を振りかざし偉そうにしていた前田氏も、担当フロアーの業績が悪化しているのでおとなしくなってきていた。契約期限まで残り5カ月を切った頃から、今まで通り各フロアー別の指導に加え、加藤氏と私は成果を上げるために追加チャージ無しに日数を追加し、全体イベントのコンサルティングも同時に行うようになっていた。
しかしこの頃から、いつもこちらが新たに考えた戦略的企画を行う1~2週間前には隣のE百貨店で同様の企画イベントが開催され、消費者にはD百貨店がE百貨店のイベントをまねしているように受け取られてきていた。
そういえば私の担当している4~6Fでもテナントの流出が激しかったが、最近は新しくテナントを見つけてきて育てても、売り上げが一定の金額を超えるとE百貨店に引き抜かれることが多くなっていた…
何度もこちらの企画と同じ企画がE百貨店で行われたため、メンバー全員が「社内にE百貨店のスパイがいる」と確信していたが、誰かは分からなかった。
ちょうどその頃、日系G百貨店が開店準備を始め、D百貨店の幹部数人がG百貨店に引き抜かれていき、数人の幹部が退社したが、「業績の良いテナントのピンポイント引き抜き」や「類似イベントの事前実施」はなくなった。
たぶん退職した幹部の誰かがE百貨店のスパイだったのだろうが、犯人探しよりもこれでE百貨店に企画を先取りされる心配はなくなったことの方が重要だった。
●台湾初の北海道物産展
契約期限まで残り3カ月となり、「最後の望み」として、「北海道物産展」を企画した。台湾では「北海道」は強力なブランドであり、毎年旅行する人も多い。しかし、当時他の百貨店では「日本物産展」「沖縄物産展」は実施していたものの、「北海道物産展」を実施した百貨店は皆無だったのだ。
加藤氏の発案で企画を進めていた商品調達は、加藤氏が日本の土産物の卸会社を紹介し、加藤氏自ら積極的に商品をD百貨店に売り込んでいた。
来年のコンサル契約継続はほぼ不可能なので、違う方法でうまい汁を吸おうという魂胆だろう。そういえば、この頃には既に前田氏は姿を見せなくなっていた…
私は旅行会社等とのタイアップや、各フロアーと北海道物産展との連携した売場づくりを行っていた。例えばレストランフロアーでは「石狩鍋」や「みそラーメン」「焼きタラバガニ」「ジンギスカン鍋」を、北海道フェアーとして期間限定で提供できるように準備していたのだ。
北海道物産展はD市の話題となり、大盛況で終わった。集客効果としては成功したとも言えるが、AコンサルとC百貨店本社との契約は売り上げである。肝心の売り上げは物産展開催日以外では思ったほど伸びず、健闘空しくわずかながらではあるが、この月も昨年実績を下回る結果となってしまった…
⑥につづく
※本コラムは事実を基にしていますが、複数の事例を交えてストーリーを展開していますので、個人及び団体が特定できないようにしています。
ワイズコンサルティング 吉本康志