コラム

記事番号:T00053208
2014年10月14日15:51

 ●偉大な経営者の死去から3年 

 2011年10月5日、米アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。90年以来、ジョブズの熱狂的ファンであった私にとって、当時は受け入れ難いニュースでした。

 ジョブズ氏の死去から3年がたち、その死を受け入れられるようになった今だからこそ、冷静に経営者・コンサルタントとして、偉大な経営者から学んだことを記録するために本コラムを連載します。

●素晴らしいPCに感動

 私は90年1月、コンサルティングファームの駐在員として台湾で勤務することになりました。

 当時台湾のオフィスでは、日本製の当時はまだ珍しいノートパソコンを使っていました。しかし、当時のPCなので故障することが多く、台湾ではサポートが利かずに困り果てていました。

 台湾でサポートが利くPCを探していた時、アップルコンピュータ(当時)が発表したPowerBookというノートPCに一目惚れしてしまいました。それは、現在われわれが使っているPCを20年以上前に実現していて、「未来のPCはこうなる」と確信したからです。

 画面はカラーで、音や映像が扱え、画面のままのレイアウトで印刷できる…など、呪文を打ち込んで扱っていた当時のPCとは全くレベルが違っていたのです。

 おしゃれなデザインや機能に感動した私はそれから毎日眠れない日々が続きました。しかし当時アップル社の製品は「PC界のポルシェ」と呼ばれるほど高価で、会社では購入してもらえるわけもありませんでした。

 そこで一念奮起して当時100万円近くのPCを将来への投資と割り切り、自腹で購入することにしました。

 購入したPowerBookは当時使っていたPCと操作の概念が全く違い、教えてくれる人もおらず、操作できるようになるまで苦労したことを覚えています。

 しかし慣れてくると、OSの使い勝手・ソフトの使いやすさなど、ユーザーのために考え尽くされたデザインに感動を覚えるようになりました。

 「こんな素晴らしい製品を一体誰が作ったのだろう」と、Mac専門誌を読みあさり(当時インターネットはまだ普及していなかった)、アップルコンピュータの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏の名前を見つけたのです。

 当時ジョブズは既にアップルコンピュー社を離れていましたが、同社の製品にはいまだジョブズの思想が色濃く残っていたのです。

●ジョブズの魅力

 ジョブズは独断専行が過ぎたため、元々担当していた「LISAプロジェクト」を外され、行き場を失った末に「Machintoshプロジェクト」への参画を宣言します。

 この時、ジョブズは「海軍に入るぐらいなら海賊になろう!」をスローガンに、LISAプロジェクトのコンセプトやメンバーを引き抜き、LISAプロジェクトで行っていたことをMachintoshプロジェクトで実行します。

 「海軍よりも海賊…」は漫画のワンピースのようですが、これを読んで「私もジョブズの部下になりたい」と思いました。

 その後、ジョブズ(当時32歳)は自らペプシコーラの最高経営責任者(CEO)だったジョン・スカリー(当時47歳)を社長としてヘッドハンティングしますが、その時の口説き文句がこれです。

「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか?それとも世界を変えたいか?」

 この逸話を知った当時、私は26歳でしたが、7年後に同じようなセリフを言えるのだろうかと悩んだものです。

 弊社では起業以来18年間、年平均30%程度の成長を続けており、毎年1〜2人欲しい人材に声をかけています。
しかし、私にはジョブズのようなカリスマ性が無く、ほとんど実現していません。

 もし私にジョブズのカリスマ性があれば…

 その後ジョブズはスカリーに自ら起業した会社を追われます。

 私がジョブズを知ったのはアップルを辞めてNEXTを設立した後のことだったのです…

●ジョブズの名言

 「当時は分からなかったが、アップルに解雇されたことは、私の人生で最良の出来事だったと後に分かった。成功者であることの重さが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ。何ごとにつけても不確実さは増したが、私は解放され、人生の中で最も創造的な時期を迎えた」

吉本康志

吉本康志

Executive Consultant

日本の大手コンサルティングファームの駐在員として台湾駐在、1996年11月にワイズコンサルティングを設立。経営者としてコンサルタントとして男としてもまだまだ成長中。