コラム

記事番号:T00053297
2014年10月17日15:46

●Windows95発売

 1995年8月25日、マイクロソフト(MS)社によりWindows95が発売されます。

 それ以前のバージョンでは使いやすさでMacOSはWindowsとは比べ物になりませんでしたが、Windows95の発売でMacOSのアドバンテージはわずかとなってしまいます。

 アップルの経営陣はWindows1.0が出たときに「こんなおもちゃは使い物にならない」と笑っていたそうです。

 そして、このころアップルはマイクロソフトを相手取り特許紛争を始め、アップルはMSオフィスのMacOS版を提供してもらえなくなります。

 この状況をジョブズはこうコメントしています。

 「マイクロソフト社がマックをコピーすることに長けていたわけではない。マックが10年もの間コピーしやすい製品だっただけだ。それはアップル社の問題だ。独自性は消えてしまった」

 こうして世界初のパソコンを世に出したアップル社は急速に経営を悪化させていくことになります。

●ワイズコンサルティング起業

 アップルの経営が悪化してきた96年初頭、私も人生最大の転期を迎えていました。

 勤務していたコンサルティングファームが台湾市場から撤退を決めたのを機に、起業する羽目になったのです。

 起業の経緯は省略しますが、興味のある方は過去のコラムをご参照下さい。

 起業当初はほとんど依頼のなかった私は、自分の会社の経営よりもアップルの再建策ばかり考えていました。

 当時、一般的にもっともらしく語られていたのは「Wintel陣営(Windowsのマイクロソフトとインテル)の成功は専業化しているからだ。アップルもハードは諦めてソフトに専念すべき」という案でした。

 今では「アップルが成長しているのにマイクロソフトが低迷しているのはハードとソフトが別々だからだ」と言われていますので、評論家とは責任感のない勝手なものですね{^_^;

 そのころの私は「新しい経営理論は知っているが、経営の本質は理解していない」よくいる一般的なコンサルタントでした。

 当時の最新経営理論を駆使しても、どう考えてもアップルの再建策は思い付かず「どうせつぶれるのなら、せめてアップルらしさを残してくれるところに買収してほしい」とまで考えていました。

 買収候補企業は次から次へと現れましたが、アップルの出す条件と合わず消えていきます。

 そのころ、アップルは独自の新OS(コードネーム:Copland)を開発中で、これが世に出されれば、もしかしたらと思っていましたが、そのわずかな希望もCoplandの開発中止が決定し、打ち砕かれました。

 アップルは「次期OSは外部に求める」と発表しましたが、その中にはWindowsNTも候補に挙がっているのを知って愕然(がくぜん)としたものです。

 「会社中のPCをMacにする」をスローガンに起業し、小額ながらアップル製品を買い続け支えてきた私でしたが、どう考えても再建できそうにもないアップルに対し「そろそろWindowsPCも買わなくては…」と思い始めていました。

●ジョブズの苦悩

 アップルを去ってNeXTというワークステーション会社を起業していたジョブズもうまくいっていたわけではありませんでした。

 ジョブズのこだわりが強過ぎて、デザインやハードとソフトの開発がなかなか進まずに市場に出すのが遅れていました。

 また革新的な機能・性能・デザインだったにもかかわらず価格が高価だったため、販売は伸び悩んでいました。

 その後NeXTはハードの開発を断念し、ソフトのみの会社になりますが、それでも経営状態は回復せず、ジョブズは苦悩の時期を迎えていました。

 ジョブズは後にこう言い残しています。

 「1年で2億5,000万米ドルも失ったのは、知っている限りでは私だけだ……。でもそれは人格形成に非常に役立ったよ」

 ジョブズがNeXTの経営で苦労していたのと時を同じく、アップルも経営に苦労していたのです。(ちなみにワイズも苦労していました(;^_^A)

 しかし、運命とは皮肉なもので両者が同じ時期に苦労をしていたおかげで、アップルは後に世界を変える多くの製品を世に出すことができたのです。

●ジョブズの名言

 「アップル社には極めて大きな資産があるが、ある程度手をかけてやらなければ、会社はたぶん、たぶん…適切な言葉を探しているんだ…たぶん、死んでしまうだろう」 

吉本康志

吉本康志

Executive Consultant

日本の大手コンサルティングファームの駐在員として台湾駐在、1996年11月にワイズコンサルティングを設立。経営者としてコンサルタントとして男としてもまだまだ成長中。