記事番号:T00129856
■祭りの前の静けさ
長島総経理が着任してから3週間。取引先への挨拶回りをこなし、ようやく業務改革プロジェクトが産声を上げたことに安堵する暇さえなかった。
前任の山本総経理からの引き継ぎは決して十分とは言えず、日々の実務が津波のように押し寄せる。ここ1週間、帰宅は夜11時を過ぎるのが常だった。コンビニ弁当で済ませる夕食を画面越しに妻が「身体を壊す」と眉をひそめる。そこで最近は、夜7時過ぎにオフィス近くの水餃子屋で湯気の立つ一皿を胃に流し込んで再びデスクに戻るのが日課だった。
ふと、山本の去り際の言葉が蘇る。「長島くん、月末は『お祭り騒ぎ』だ。覚悟しておきたまえ」。
明日は、その月末がやってくる。
■「締め切り」という名の怪物
翌朝、李経理の言葉に従い1時間早く出勤した長島の目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
まだ就業時間前だというのに、購買部は戦場のような慌ただしさだ。管理部も同様の熱気を帯びている。デスクには昨日まで空だった「申請書受付箱」が溢れんばかりの紙の束に占拠されていた。
「おはようございます。総経理」李が甘めのコーヒーを差し出してくれた。彼女の表情には、これから始まる嵐に対する、ある種の覚悟が滲んでいる。「本日から、月末月初の5営業日が始まります。初めての総経理には流れをご説明します」。
李の説明は簡潔にして過酷だった。要約すれば月初の6営業日目の朝8時(日本時間9時)が、本社への月次報告の締め切りだ。貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書。この3種の神器を揃えて提出しなければならない。遅延は即「訓告」に直結する。
この最終目的地から逆算し、すべての歯車が狂ったように回り出すのが、この「魔の5営業日」なのだ。
■膨れ上がる紙と数字
商習慣が現場に負荷をかける。取引先との条件は月末締め翌月末払い。そのため、月内に取引を完結させたい各社が、月末に一斉に入出荷を集中させるのだ。
「購買部の倉庫は悲惨ですよ」と李が言う。検品時間を確保するため、仕入先には午後3時の納品締め切りを通告しているが、守る者などいない。夜まで配送トラックが列をなし、荷降ろしが続く。そこからエクセルで検収書を作成し、その日にうちにメールし終える。
会計課では中南部の営業所から郵送された注文書の紙の山。それを一枚ずつ納品書と照合しては会計システムへ手入力して「電子統一発票(請求伝票)」を発行する作業が延々と続く。それだけではない。前月分の未入金チェック、催促、仕入先への支払い処理。膨大な数字と、それを証明する「紙」の重み。
長島は、せわしなく動き回る社員たちの姿を眺めた。
「効率化・デジタル化」自分が掲げた旗印がいかに高く、そしてこの「魔の5営業日」という現実がいかに泥臭いものか。

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宇都宮武則
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